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宇宙を視るためのレンズ──北脇昇のオブジェに寄せて
会場風景│撮影:大谷一郎 二科会創設者の一人・津田青楓の画塾1を経て独立美術協会を主たる発表の場とした北脇昇は、1937年、突如それまでのフォーヴィスム調を捨て、庭木や拾った植物の実などを拡大して茫漠とした背景に描いた作品を発表する。この時から1951年に病没するまでの北脇の画業を、本展は充実したコレクションによって辿る2。その仕事は大きく次の3期に分けられよう。かたちの連想を発展させた「幻想的なイメージ」の時期、自然科学や易などを駆使した「図式的な絵画」の時期、そして《クォ・ヴァディス》(1949年)に代表される終戦後の時期だ。 本展の主眼は、北脇をシュルレアリストたらしめてきた幻想的なイメージの本来の目的を、「世界の背後にある見えない法則を解き明かし、世界観のモデルを示す」3ことと捉え、図式的な絵画をその達成とみなす点にある。カントの図式論、ゲーテの植物学や色彩論、中国の易学など多彩な背景を持つ図式的な絵画は一見難解だが、本展の解説は、北脇の思考の具体的な典拠を挙げながら、それらが陰陽等で表された二極の循環による調和を表すことを示し、作品理解の間口を広げている。 ところで、図式的な絵画を幻想的なイメージの延長線上に置くとすれば、両者はどのような点で連続しているのだろうか。作品に添えられたカエデの種やカクレミノの葉、そして北脇が保管していた木片は、単に本展の興味深い余白という位置にとどまらず、北脇の関心を読み解く重要な鍵となる。小箱に詰め込んだこのような収集物を北脇は「オブジェ」と呼び、レンズを通して拡大したその姿の中に超現実を発見した4。そして、レンズの中点を画面の消失点と重ね合わせ、手前に広がる現実の世界と奥に広がる超現実の世界を補い合うものとして接続する実践こそがシュルレアリスムだと、北脇は考えた5。この二つの世界は、北脇の言葉で言い換えれば、意識と無意識、相称(対称の意)と非相称、そして巨視美と微視美の世界である。 北脇昇《綜合と分析》1940年、東京国立近代美術館蔵 超現実も天地の法則も、現実にかたちをとって現れたモノや図形を観察することによってしか、知ることはできない。図式的な絵画に見られる植物の断面図や幾何図形の採用自体は、すでに古賀春江という先駆を持つが、古賀にとってそれが経験可能な現実を離れた純粋な理念の象徴6だったとすれば、北脇のそれは、あくまで具体的な事物の観察を通じて立ち現れてくるものであった。その点で、北脇が《綜合と分析》(1940年)でレンズ越しの絵葉書をインクの網点として描いているのは興味深い。レンズの向こう側にあるのは、決して幻想ではない。 会場風景│撮影:大谷一郎 註 東京国立近代美術館が所蔵する北脇の津田青楓洋画塾時代の仕事は、練馬区立美術館「生誕140年記念 背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和」展(2020年2月21日〜4月12日)で紹介されている。本展と併せてご覧になることを強く勧める。(編集部注:同展は終了しました。) たとえば「北脇昇展」(1997年、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、愛知県美術館)出品の油彩作品の半数近くを、本展で見ることができる。 本展リーフレットより引用。 「超現実性も一種のレンズの力を借りてする観測に俟つて、初めて論議の対象たり得るもの」(北脇昇「超現実性観測室に就て」『第4回新日本洋画協会展目録』1938年)。「みかん箱のような小箱に、小石や、木片や、キラキラ光る貝殻類がゴロゴロ入れてあった。これは何に使うかときくと、かれはオブジェだといい、大きな拡大レンズを持ち出してわたしにのぞかせた。〈人間の可視的世界など、目でみるものにレンズの照明をあてるとこんなにちがってしまう。そこに超現実主義の世界があるんだ〉という意味の説明であった」(木村重夫『現代絵画の四季』近代美術研究会、1964年、164頁)。 北脇昇「相称と非相称」『美術文化』1号、1939年、7–9頁。 古賀春江「超現実主義私感」『アトリヱ』7巻1号、1930年、53–58頁。 『現代の眼』635号
没入する眼差し、再訪する絵画──「ピーター・ドイグ」展を見て
会場風景(左は《ブロッター》)│撮影:木奥惠三 たとえば《ブロッター》(1993年)の巨大な画面を前にした際に受ける感覚をいかに述べ得るだろう。雪深い森のなかの、おそらく薄く氷の張った池の端に青い防寒着姿の人物がひとり、足元の波紋を見つめて立ち尽くしている。その情景は画面に近寄っても印象派絵画のように筆触へと分解されず、はっきり認識できるままだが、どこか遠いものと感じてしまう。画面中央の人物の小ささと前景の広い水面が、眼差しとのあいだに埋めることのできない隔たりを生んでいるからである。一方で眼差しは人物の足元の波紋とともに拡散してゆき、白やピンクの絵具の塊がオールオーヴァーに点在する画面を縦横に滑走し、後景の森に前景の水面とひとしい近さを知覚してもいる。あるいは、われわれは展示室で画面の物理的実在を前にしながらも、あの人物とともに雪と朝陽ないし夕陽の反射光に包まれているとさえ言えようか。この経験をわたしたちは知っている。 「ピーター・ドイグ」展の最初のセクションを一巡して気づかされたのは、彼の1990年代の絵画の実物は、奇妙なことにも、再現された情景という様相においては印刷図版やピクセル画像以上にヴァーチャル(仮想的)に見えることだ。注視していると鑑賞者の意識の方がその場から遊離してしまう。けれどもゲルハルト・リヒターの「オイル・オン・フォト」のような、再現的イメージと現にそこにある絵具が別々のレイヤーになっている作品とは異なって、物質とイメージはきわめて薄い厚みのなかで凝縮されている。《のまれる》(1990年)や《エコー湖》(1998年)などに繰り返し描かれる水面は、われわれの眼差しが弾かれつつも吸い込まれる薄い厚みとしての画面のメタファーである。 ドイグは画業初期からモダニズムがキッチュと切り捨てた平凡で多様な文化に対する好みを隠さず、自分で撮った写真に加えて広告や絵葉書、「13日の金曜日」といった映画にイメージの源泉を求めてきた。それは画家の言葉によれば、アートワールドのエリート主義に対する冷笑的態度であり、また彼個人の経験だけでなく、一般化された記憶を喚起するためでもあったが、重要なのはしばしばそうしたイメージからオールオーヴァーに飛散する絵具や水平の帯状の構図分割といった、モダニズムが抽象絵画の特徴とみなした造形語彙が抽き出され、見る者の空間知覚と時間感覚を宙吊りにする手段へ転化されていることである。「絵画はあなたをいろいろな場所に連れていくことができる」1とドイグは言うが、まさに彼の絵を見てわれわれは幼年期の夢や彼が過ごしたカナダやトリニダード・トバゴの風景、いつか見たかもしれない映画のシーンなどを訪れる。またモダニズムとキッチュ、抽象と再現が分かれる前の二十世紀初頭の絵画──ムンク、ボナール、マティス、ホッパーにカナダのデイヴィッド・ミルンの作品、あるいはドイグ本人は知らなかったであろう本展会場の上階に展示されている日本近代洋画など──をも想起させられ、そこに胚胎されている未来の美術史を想像するよう誘われるのだ。詳述する余裕はないが本展の後半に窺えるように、ドイグ自身もある絵から次の絵へ導かれるように再訪の旅を続けており、ドイグの絵画とは鑑賞者のみならず作家をも連れて潜在性の領野を再訪する媒体=乗り物であると言えよう。 しかしながら、現代における絵画の可能性と絵画を見る喜びに捧げられた本展は開幕の直後に災難に見舞われた。言うまでもなく新型コロナウィルス対策のための臨時休館であるが、今回のパンデミックを瞬く間にもたらしたのはイギリス、カナダ、トリニダード・トバゴと大西洋を横断しながら制作し、展示をおこなってきたドイグの芸術を支える条件、つまり地球規模での人と物の移動と交流の活発化に他ならない。そのことを知ったうえで、なお一刻も早い展示の再オープンと、さまざまな人たちがその絵が肯定している多文化の混淆性を受け入れて、絵の前で言葉を交わせる日が来ることを願ってやまない。 註 「ピーター・ドイグとアンガス・クックの対話」2013年、桝田倫広、吉村真訳、「ピーター・ドイグ」展図録、東京国立近代美術館、2020年、187頁。 編集部註:この記事は臨時休館中の2020年4月24日に掲載しました。 『現代の眼』635号
開かれた絵画空間
第1章 会場風景│ 撮影:木奥惠三 絵画作品を分析する際にしばしば使われる「絵画空間」という言葉は、現実の空間とは異なる、カンヴァス上に描かれた空間を意味する。西洋絵画の歴史において、画面の奥に消失点を設ける遠近法は、現実とは切り離された、内部で完結した絵画空間を生み出してきた。しかし近代以降、絵画は奥行きと表面の戯れを通じて、絵画の前に立つ私たちの知覚に直接訴えかける、開かれた空間へと変貌する。そして絵画の近代化は、「絵画」という表現形式が西洋、とりわけフランスから世界各地に伝播していくタイミングとほぼ時を同じくしていた。もともと西洋における絵画の近代化も、非西欧圏の視覚文化を取り込むことで成し遂げられたものであり、絵画は近代以降、世界のあちこちに元来存在していた視覚のモードや新たな視覚表現と融合しながら、多様な展開を続けている、と見ることもできよう。 1959年にスコットランドで生まれ、トリニダード・トバゴ、カナダ、ロンドンといった様々な文化圏で視覚経験を養い、やがて絵画を志すようになったピーター・ドイグは、近代以降の絵画の可能性を探求している画家の一人である。とりわけドイグの絵画に見られるモティーフと筆触のあいだの揺らぎ、並置された面による平面性/奥行きの暗示、脱中心化された構図、そして人物の足が描かれないといった要素は、絵画空間がこちら側に向かって開かれているという印象を見る者に与える。また、ドイグの絵画作品における絵具のにじみや垂れ、残された複数の線、同じモティーフの反復は、描かれた時間へと私たちを誘う。そのように空間と時間が緊密に織り込まれた絵画作品を、現実の空間に配置すること、それは画家にとって制作に次ぐ創造的な行為であるはずだ。実際に、本展の展示プランも、企画者の桝田倫広研究員と、ドイグ本人によって綿密に練られたものであるという。 第2 章 会場風景│ 撮影:木奥惠三 本展の会場は、大画面のスケールを体感できるよう、非常にゆったりとした展示構成になっていた。部屋は大きく分けて4つ。1部屋目と2部屋目の前半が第1章「森の奥へ」。2部屋目の後半と3部屋目が第2章「海辺で」、そして最後の細長い部屋が第3章「スタジオのなかで──コミュニティとしてのスタジオフィルムクラブ」という非常にシンプルな構成である。「森」と「海辺」という主題は、それぞれカナダとロンドン(1986–2002年)、トリニダード・トバゴ(2002年–)を拠点とした制作時期にも対応している。通常であれば章ごとに部屋を区切ることが多いが、章解説の設置された壁を境に、各章が緩やかにつながることで、主題や制作時期を超えたドイグの探求の一貫性と変遷が可視化されていたように思う。そして各壁面に掛けられた絵画は、制作年順ではなく、隣同士、あるいは向かいあう作品の主題や色彩、構図が響きあうように配置されていた。 第1章の手前の壁に展示された、雪をモティーフにした2点の作品《ブロッター》と《スキージャケット》では、雪であり絵具でもある白が印象的だが、空間を撹乱するようなこの白は、同じ部屋の壁を覆う、カヌーをモティーフにした一連の作品にも現れている。続く部屋では、《若い豆農家》《ロードハウス》《コンクリート・キャビンⅡ》といった、手前に遮蔽物を置くことで近さと遠さを往還するような作品が並ぶ。それ以降は、比較的薄塗りで、絵具のにじみやかすれ、垂れといった偶発的な要素が残る作品が増えてゆく。 第2章に入ると、それまでの夢幻的な色彩から、島国を舞台にした鮮やかな色彩へと様変わりする。第2章の冒頭に置かれた《ラペイルーズの壁》や《赤いボート(想像の少年たち)》、《ペリカン(スタッグ)》に描かれた人物たちはどこか所在無さげで、現実と非現実の境をたゆたっているかのようだ。そして《ピンポン》で人物と背景のあいだに現れたグリッド構造は、続く部屋の《馬と騎手》や《花の家(そこで会いましょう)》でも繰り返されるが、矩形の位置がややずらされ、その隙間から背景がのぞくことで、画面の前後関係が反転するような、より複雑な空間となっている。 最後の細長い部屋は第3章に捧げられており、ドイグが友人と始めた映画の上映会のためのポスターがずらりと並ぶ。それぞれの映画のワンシーンが切り取られているものがほとんどで、絵画制作にあたってドイグが時に映画を参照していたことを考えると、ラフな筆致で描かれたこれらのポスターからも、ドイグがものを見る視点が浮かび上がってきた。 第3 章 会場風景│ 撮影:木奥惠三 絵画作品32点とポスター40点という出品点数は決して多いとは言えないが、ドイグの画業の変遷を示す厳選された作品群と、考え抜かれた作品の配置によって、ドイグの絵画空間を十全に体感することのできる個展が実現していた。そして新型コロナウイルスの感染拡大防止のため延期を余儀なくされた本展のウェブサイトでは、展覧会場の3DVRも公開された。それはもちろん自身の身体で会場を歩き、作品の前に立つ経験とは異なる。しかし、床や天井を含めて360度見渡せるヴァーチャル空間のなかで、絵画に近づき、その筆触が見えるほどに拡大することができるこのメディアは、記録としてはすでに十分な情報を含んでいる。そして今後VR体験のためのデバイスが普及し、VR空間と私たちの身体感覚がリンクするようになれば、それは様々な事情で展覧会場に足を運べない人々にとって、鑑賞の新たな手段となる可能性を秘めているだろう。 『現代の眼』635号
絵画の理由──ピーター・ドイグ展に寄せて
西欧美術の歴史を振り返れば、絵画という表現形式の可能性はすでに汲み尽くされたと感じられるのも無理はないだろう。1970年代以降ヴィデオやパフォーマンスをはじめ多様な表現媒体が登場し、旧来の作り手や美術のあり方自体が問い直された。確かに80年代、90年代において、こうした状況に対する一種の反動として「絵画の復権」と呼ばれる動きが内外で見られた一方で、90年代以降、もはや「もの」としての作品を介すのではなく、行為を通して観客との関係性を生み出し、社会的に関わるアートのあり方が、ますます不安定さを増す世界の状況の中で注目されてゆく。 こうした中、ピーター・ドイグの日本で最初の充実した展覧会が東京国立近代美術館で開かれた。ここで見るドイグの作品は、これまで絵画の歴史において積み重ねられてきた多様な可能性を捉え直しながら、今なぜ絵画でなければならないのか、という問いかけを正面から受け止めようとしているように思われる。 セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン 、ボナール、マティス、ムンク、ベーコン、ニューマン等々、過去の絵画の多様な要素の参照は、本展の非常に充実したカタログでも適切に言及されている。会場を見渡せば、例えば《夜のスタジオ(スタジオフィルムとラケット・クラブ)》(2015年)の塗り重ねられた床の赤の下層から覗く色彩の線はマティスの《赤いアトリエ》(1911年)[image] を想起させ、《ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)》(2015年)の半ばかき消されたような人物は同じマティスの《カスバの門》(1912–13年)を思わせる。しかしそれらは大文字の「様式」の語りからしばしばこぼれ落ちてきた絵画の要素であり、主題や様式の観点から語られる絵画史において十分に意識化されてこなかった可能性を、改めて具体化する試みであるとも言える。 会場風景(左は《夜のスタジオ(スタジオフィルムとラケット・クラブ)》)│撮影:木奥惠三 別の意味でもドイグは絵画の歴史を喚起する。トリニダードを描くドイグをゴーギャンに重ね合わせることは、植民地主義の歴史とそれに伴う眼差しの問題を問うことと不可分である。《赤いボート(想像の少年たち)》(2004年)で、エキゾティックな南国の風景に浮かぶ船の中の少年たちは、一様に褐色の肌をして、背中を丸め、こちらを見る眼差しも定かではない。その弱々しく所在無げな姿は、ゴーギャンがタヒチの若い男性たちを、男性的な活力を感じさせない、いわば女性化した姿で描いたことを想起させる。しかしまた一方で《ペリカン(スタッグ)》(2003年)において、トリニダードで見たペリカンを殺す男を、ロンドンで見つけた、トリニダードにかつて移民として来ていた南インドの漁師の絵葉書を元に描いたとするなら、暴力的な行為の主体は植民地の労働者であり、タイトルのビール「スタッグ」のマッチョなイメージと結びつくと同時に、画面中央の青白い絵具/光に照らされたその相貌は「白く」見える。ドイグにしばしば見られる、一つのポーズをいくつかの作品で反復すること自体ゴーギャンのやり方を想起させるが、象徴的な言語とみなされるゴーギャンのポーズに対して、ドイグの人物の身振りはしばしばその作品の中で特定の意味を失っていわば情念定型パトスフォルメルとして継承される。そこには確かに植民地をめぐる歴史の意識があると同時に、複数の地域の人々や肌の色、時代のイメージは錯綜しながら変容し、多様な意味に開かれてドイグの絵画に内包される。 トリニダードにおけるマチエールの変化は、それまでの彼の作品よりも絵画の物質としての厚みを感じさせないが、そのマチエールは薄塗りであるかどうかに関わらず複雑で重層的であり、やはり彼の絵画の核をなしている。 ドイグの絵画は写真や既存のイメージを含めどちらかと言えば平凡な現実のイメージを元に、制作のプロセスの中で複雑なマチエール=物質性を紡ぎ出しながらそこに変容をもたらし、現実と夢や記憶、具象と抽象の境界を揺るがして、見る者それぞれに様々な物語や意味を喚起する。それは極めて個人的な行為でありながら、社会や時代、歴史とつながる具体的なイメージに突き動かされることで今を生きる現実に開かれている。その画面は、レッシングを借りて言えば、語りの時間を意味深い永遠の一瞬に凝縮する「ラオコオン」が体現する絵画のあり方を実現すると言えるかもしれない。しかしそれは一つの物語的な表現を担う絵画の回帰ではなく、あるいはまた、映像や文学の逸話性から自律するグリーンバーグの言うモダニズムのラオコオンでもない。それはいわば、イメージから喚起されるいくつもの多義的な語りや意味や記憶を、制作のプロセスが展開される時間性を通じて非言語的な物質=マチエールへと織り合わせて見る者の多様な眼差しへと開く、いっそう新たなるラオコオンとしての絵画である。 そして、そのようなあり方を通して、ドイグは今もなお、絵画の魅力と可能性を切り開き続けることができると示している。 『現代の眼』635号
画面の手前で
画家が自らの偏愛する画家について語るとき、話題の対象となる画家について以上に、必ずしも意図したわけでもなく、自分の制作についての思考を開示してしまうことは頻繁に起こりうることだ。たとえば、2006年にパリ市立近代美術館で開催されたボナール展のカタログに収録されたハンス・オブリストによるインタヴューで、ピーター・ドイグもまた、ピエール・ボナールについて語るとき、ほとんど自らの制作の場面で展開する思考を暗黙のうちに示しているかのようだ。この短くも充実したインタヴューで、実際、冒頭からドイグはボナールの作品がたえず自分の発想の源泉となっていること、また自分が彼の影響下にあることを認めたうえで、「自分自身の作品について考えるとき、私はしばしばボナールの作品を見ます」と語っている。いまなお、美術史の記述の体系のなかに位置づけがたく、それゆえに、批評的な抗争の場で毀誉褒貶とともに奇妙な役割を背負わされることが多いにもかかわらず、その作品の射程を正確に踏査されたわけでもないながら、自分の作品が西暦2000年の若い画家たちに届くことを夢見ていたボナールにとって、この率直な告白はささやかであるにしても明確な礼讃でありえているはずだ。 ピエール・ボナール《南フランスのテラス》1925年頃、油彩・キャンバス、68.5×73cm、グレナ財団蔵 ここで、ごく簡潔にドイグがボナールの作品に注目した点を列挙すれば、扇情的な主題を扱わず、自らの生にとって身近な主題を扱うこと、技量をこれ見よがしに誇示しないこと、ある種の開放性を備え、完成/未完成の判断が困難であること、事前の計画なしに断片的に画布に介入することによって、時間の経過を積層化し、現在の知覚と記憶の領域とを同時に組み込む点などをあげることができる。そして、この開放性のために、観者は画面に巻き込まれるように参加することを強いられる点を指摘している1。この点で、ボナールの作品に関していえば、その画面の一貫した構成原理は、画布の奥に展開する空間の創設以上に、画布の手前の空間、つまり、画布と観者との間の空間をいかに組織するかという点に集約されるが、ドイグもまた、この同じ手前の空間の編成を異なった仕組みで遂行しているとはいえないだろうか2。 ごく端的にいえば、ドイグの場合、それは、マネならびにそれ以後の絵画に顕在化するように、画面の前景を遮蔽する仕組みである。たとえば、初期の《ロードハウス》(1991年)に顕著なように、水面、陸地、空という3つの領域に画面が分割される構成の作品においてさえ、この3つの領域は画面の奥へと視線を誘導することなく、3つの立ち上がった領域の様相のもとに視線を画面に留めさせる、つまり、視線を遮蔽する一種の壁として立ち上がる。また、《オーリンMKIV Part 2》(1995–96年)のように広大な空の領域を備えながらも、こちら側に向かってジャンプする人物の存在によって、空の空間も同時に手前側に引き寄せられる印象を与え、その結果として中景にいたる道を暗示する緑色の色帯も奥に進む以上に立ち上がって見えてくるだろう。このような前景へと視線を誘導する要素の存在は頻出するが、《ピンポン》(2006–08年)にいたると、遮蔽物それ自体の表示が際立つことになる。そして、《ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)》(2015年)の場合も、単に建築物のみならず、左端の灯台へと向かう道もほとんど直立する様相を呈してはいないだろうか。 会場風景(左は《スキージャケット》)│撮影:木奥惠三 ところで、この手前の空間の組織化という点と同時に、知覚作用における遅さの組織化という点でもドイグはボナールと課題を共有しているが、後者が周縁視的な領域の活用と抽象的な領域の拡張によってこの課題を遂行するとすれば、ドイグの場合、物質的な次元での小さな細部と縮小化された構成要素(たとえば、《スキージャケット》(1994年)の無数の人々など)との分散性に依拠している。ときに知覚の識閾下の要素の分散性が画面の統合的な知覚を凌駕するかのようであり、この点で、出発点にある写真画像は大きく変形されることになる3。この作用への明晰な注目を、本展カタログに収録された「ピーター・ドイグ―20の質問」でのローラ・オーウェンスの発言に見いだすことができるだろう。自作が成功したと感じるのは、出発点にあるイメージを絵具による介入によって崩壊させる(disintegrate)ままにしておくときになのか、それとも「自覚的に保存しようとする感情的な質ないし物語的なもの」を体現できたときになのかというこの二者択一的な問いにドイグは正面から回答することを回避しているが、オーウェンスの期待する答えはおそらく前者であるだろう。そして、最後に、「抽象的なものは出発点である」というボナールのメモの一節を引用しておこう。それが何であれ、この出発点を長い制作の過程で脱統合化(disintegration)していく作業こそが、シンコペーション化された時間という新たな知覚経験の領域を開示していくことになるだろう。 註 紙面の関係で今回は展開する余裕はないが、ドイグは指示的な情報なしに、その人物に関して知りたいことのすべてを知ることができる点をボナールに見出し、このような性質を自らの作品においても実現したいと述べている。また、ボナールの作品を見続けると胸が張り裂けそうなメランコリーを感じるとも指摘している。 この点に関しては、筆者の「さあ、過飽和なテーブルにどうぞ!」(『ピエール・ボナール展』図録、国立新美術館、2018年)を参照していただきたい。 『アンフォルム』(1997年)の「非常に遅い(Very Slow)」という項目で、イヴ=アラン・ボワは、極端な遅さがフロイト的な〈不気味なもの〉を喚起する点を指摘している。 『現代の眼』635号
錯綜と連想──ピクチャレスクから見たドイグ
《若い豆農家》(1991年)の枝葉と柵、《コンクリート・キャビンⅡ》(1992年)の木立、《スキージャケット》(1994年)の雪。ピーター・ドイグの絵を初めて見たとき私を魅了したのは、何の変哲もない事象が画面手前で大胆に繰り広げられることで顕在化する近代絵画の両義性──自己の内面世界と絵画の物質性──だった。ところが、本展で近作から感じられたのは、自在な筆致にもまして、ロマン主義に先行する美的範疇「ピクチャレスク」との親和性である。 ピクチャレスクな風景式庭園Thomas Hearne, A Picturesque Landscape Garden, from Richard Payne Knight, The Landscape (London, 1795). 一般的に「絵画のような」と訳される「ピクチャレスク」は元々、動的なスケッチ風の描写に相応しい対象の性質を示す用語だった1。最初の実践者ウィリアム・ギルピン(1724–1804年)がピクチャレスクの主要因と見なしたゴツゴツした岩や角張った牛に備わる「粗さ」は、その典型である2。一方、理論派の郷紳ユーヴデイル・プライス(1747–1829年)は、ピクチャレスクな快の源泉の一つに「錯綜」を挙げる。錯綜とは「 部、 分、 的、 か、 つ、 不、 明、 瞭、 な、 隠、 匿、 に、 よ、 っ、 て、 好、 奇、 心、 を、 興、 奮、 さ、 せ、 助、 長、 す、 る、 、、 物、 体、 の、 配、 置、 」を表し、「突然の隆起や、不意の砕けた様式で互いに交差する線」に起因する3。こうしてピクチャレスクの焦点は、個別の対象から諸対象の関係性へシフトした。 プライス家の地所「フォクスレー」の風景Thomas Gainsborough, Beech Trees at Foxley, Herefordshire, with Yazor Church in the Distance, 1760. Whitworth Art Gallery, The University of Manchester 平凡なモチーフを凝視に価する対象へと変えたドイグの初期作品に認められる効果は、この錯綜と類似する。しかし、ドイグとピクチャレスクとの関係は、表面的な視覚効果にとどまらず、彼が関心を抱く「知覚のプロセス」にも見出される4。ここで重要なのは感覚と知覚の差異だ。プライスの隣人にして 好事家ディレッタント のリチャード・ペイン・ナイト(1751–1824年)は、「知覚は精神の作用である。それに反して、感覚は感官への印象である」と述べ、イギリス経験論から発した観念連合主義をピクチャレスクへ適用した5。美的判断は、客体のもたらす普遍的な感覚ではなく、主体の感情や記憶を含めた知覚に基づくと考えたからである。絵画が「ある光景の生々しさと頭のなかのなにかとのあいだにあるイメージをどうにかして描こうとする仕方で現れる」というドイグ自身の発言は、まさしくナイトの見方と一致する6。 この点に関連して、美術批評家ロザリンド・クラウスは、ジョンソン辞典増補版(1801年)が掲げるピクチャレスクの定義の一つ「 特異点シンギュラリティ 」に注目し、19世紀初頭までは特異なもの(=オリジナル)と公式的・反復的なもの(=コピー)が相補関係にあったと指摘する。風景の特異性とは、ある土地の静的・不変的な特徴ではなく、「あらゆる瞬間に風景が浮かび上がらせるイメージと、それらの光景ピクチュアが〔主体の〕想像力の中に記入される仕方の函数なのである」7。ピクチャレスクという美的快の根底には常に、複数性と単一性や、制作と享受とのあいだの揺らぎ、すなわち連想がある。ドイグの場合、その連想は、しばしば現実風景から複製媒体へ、複製媒体から絵画へ、絵画から観者へと、三重にも増幅されている。 会場風景(右は《馬と騎手》)│撮影:木奥惠三 要するに、ピクチャレスクは特権階級だけが発見できる対象の性質や配置ではなく、どんな「見る」主体にも存する。なるほどピクチャレスクが前提とする「絵画ピクチュア」は上流階級的な教養に規定されていたが、ドイグが扱う「画像イメージ」は明確な規範を持たない。彼の絵画においては、誰もが知る名画も、グローバルに流通する広告も、近所で撮られたスナップも、現代の視覚文化よろしく並列関係にある。ただし、そこでは種々の画像が一つに統合されているため、観者は媒体の形式や画像の情報に囚われず、見る行為そのものと向き合うように促される。ドイグは、現代美術界を賑わす思弁的実在論などおかまいなしに、知覚する人間を徹底的に探究しているのだ。こうして絵画は、私たちの無数の観念に連なって半永久的に新しい物語を紡ぎ続ける。 註 Richard Payne Knight, An Analytical Inquiry into the Principles of Taste, 2nd ed. (London: Payne, 1805), pp. 148–150. William Gilpin, Three Essays: on Picturesque Beauty; on Picturesque Travel; and on Sketching Landscape: to which is Added a Poem, on Landscape Painting, 2nd ed. (London: Blamire, 1794), pp. 6, 16–20. Uvedale Price, An Essay on the Picturesque, as Compared with the Sublime and the Beautiful; and, on the Use of Studying Pictures, for the Purpose of Improving Real Landscape, New ed. (London: J. Robson, 1796), pp. 26, 60–61. リチャード・シフ(吉田侑李、桝田倫広訳)「漂流」、『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、176–177頁。 Richard Payne Knight, The Landscape, A Didactic Poem. In Three Books. Addressed to Uvedale Price, Esq., 2nd ed. (London: G. Nicol, 1795), p. 19. マシュー・ヒッグス(桝田倫広、吉村真訳)「ピーター・ドイグ──20の質問(2001年)」、『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、209頁。 Rosalind E. Krauss, The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths (Cambridge: The MIT Press, 1985), p. 164.〔ロザリンド・E・クラウス(小西信之訳)「アヴァンギャルドのオリジナリティ」、『オリジナリティと反復』、リブロポート、1994年、132頁〕 『現代の眼』635号
レンズの秩序と絵具の論理のはざまで
ピーター・ドイグの作品はきわめて映像的であると同時に絵画的でもある。これは多くの論者によってすでに指摘されていることだ。だが、作家本人は以下のように語っている。 人はよくわたしの絵を見て映画の特定のシーンや本のある一節を思い出すと言いますが、わたしはそれらとは完全に異なるものだと考えています。(中略)自分自身の絵について言えば(中略)それは不可避的に物質性と関わっています。それらはまったくもって非言語的なのです1。 このドイグの見解は、時間芸術と空間芸術の対比によって諸芸術の特性を明確化しようとする18世紀ドイツの文筆家レッシングのアプローチの延長線上にある。西洋では伝統的に「絵は黙せる詩、詩は語る絵」という芸術観が信奉されてきた。美術と文学は互いによく似た姉妹のような芸術だというのである。それもあって、西洋では長らく物語の1シーンを描く物語画こそがもっとも権威ある絵画ジャンルであるとされてきた。ところが、レッシングは『ラオコーン』(1766年)の中で、視覚芸術は何らかの静止した物体を空間に設置する空間芸術であり、文学や舞台など作品自体に時間の流れが必要な時間芸術とは明確に区別されるべきだと論じたのである。たとえ鑑賞者が画面の中のイメージに何らかの物語を感じ取ったとしても、絵画は静止した物体でしかない。ドイグの発言はこの点に自覚的である。 このインタビューの中で、ドイグは自作を物語画の一種には位置づけておらず、むしろ非言語的な物質性とイメージの関連性を押し出している。しかし、それでも私たちは彼の作品から映画的な要素を見いだしてしまう。それが物語や言語ではないというのなら、彼の作品のどこが映画的なのだろうか。 会場風景(中央は《花の家(そこで会いましょう)》)│撮影:木奥惠三 それは遠近法である。たとえば《花の家(そこで会いましょう)》のフラットな構成は、望遠レンズで撮影された映像に見られる圧縮効果(離れている被写体同士の距離が縮んで見える現象)に酷似している。また、ブロック塀とレンガまたはタイルの壁を抽象化したと思われる長方形のモティーフは、中望遠〜望遠域のレンズでそれらの対象を撮影することで得られる幾何学的な形態によく似ている。たとえば、ドイグとチェ・ラヴレスが主催する映画上映会「スタジオフィルムクラブ」の告知用ドローイング群の中に見られる小津安二郎の「東京物語」は、中望遠域のレンズを用いて戦後の日本家屋が持つ水平垂直の形態を幾何学的に構成した画面で有名だ。小津の場合、画面を構成する長方形のモティーフは障子やガラス戸だが、ドイグの場合はそれがレンガやブロックになるのである。 中望遠以上のレンズを使うので、対象と距離を取らなければ、このような映像は撮影できない。同様に、鑑賞者が絵から離れなければ、ドイグが言うところの「物質」つまり絵具が具象的なイメージに見えることもない。絵画では、物理的な絵具の層とイメージ上の奥行きの反転がしばしば起きる。たとえば、下地に近い層に塗られた絵具がもっとも手前にあるように見え、逆に厚く盛られた絵具の頂点が奥まって見えることがある。現代絵画ではこのような逆転現象を意図的に操作することが多い。そしてドイグの絵画は、空間を切り取るカメラの位置と鑑賞者の位置がちょうど対応しているように感じさせるのだ。 レンズの秩序に絵具の論理を合流させること。これこそがドイグの絵画が持つ空間性の特徴に他ならない。 註 マシュー・ヒッグス(桝田倫広、吉村真訳)「ピーター・ドイグ──20の質問(2001年)」『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、207頁。 『現代の眼』635号
東独具象絵画とドイグ
会場風景│撮影:木奥惠三 本稿執筆にあたり、企画者から示されたテーマは「戦後東ドイツの具象画家たちとドイグとの比較」である。ドイグと同時代を並走する画家としてまず思いあたるのは、ネオ・ラオホ(1960年–)であろうか。2000年代半ばに国際的な注目を集めた「新ライプツィヒ派」と呼ばれる具象絵画の一群を代表する画家である。 ラオホの絵画は謎めいている。視覚的には多くの手がかりを与えてくれるにもかかわらず、それがひとつの答えに結実しない。思わせぶりな身振りとは裏腹に無表情の人物、特定の職業に結びつく衣装、自国の絵画的伝統に連なる風景、そして明らかに象徴的な関連性を持つオブジェ。ラオホはこれらの要素を画面の中で積み上げていくが、それらがパズルのピースのように噛み合い、特定の主題が浮上することはない。 私は絵の中心につながるような痕跡を置くことができますが、そこにたどり着くと、それが拡散して別の枝に入っていくのがわかります。私はナンセンスな絵を描かないようにしているし、一方で、ある種の批判的な意図を持って、物語性のある絵を描かないようにしています1。 ラオホが自作を語ることばと、写真や映画などイメージの出所は詳らかにされているにもかかわらず、完成した絵画にはそれぞれの文脈が重層的に腹蔵され単一の意味に収斂することのないドイグの作品とは、どこか響き合う。 旧東ドイツの政権は、社会主義リアリズム、すなわち理想の社会像を描く啓蒙的な写実絵画を自国の画家たちに強制したが、その制約下においても、表現主義や新即物主義といった戦前のアヴァンギャルドの様式を引き継ぎつつ、イデオロギー的戒律を逃れた新しい具象表現をめざす取り組みがなされた。ライプツィヒのアカデミーで絵画教育の規範となっていたのは、マックス・ベックマン、ローヴィス・コリント、オットー・ディックスらの作品であったとラオホは回想している。なかでも彼はベックマンに対する共感をたびたび口にするが、それは、寓意的に描きながら象徴的なメッセージを曖昧なまま提示する方法においてである。ラオホが重視するのは、ベックマンが「絵を部分的に他の人に説明してもらい、絵画的な宇宙の迷宮の中に他の人を送り込むことに大きな喜びを感じていた」という点なのであり、それがラオホ自身の安易な解釈を許さない画面へとつながっている2。 このことは、80年代のニュー・ペインティングにおいて影響源のひとつとなった国際的なベックマン受容と呼応しているかに見えて、実際にはそれとは異なる回路を通じてベックマンが参照されてきたことを示唆するように思われる。国外の同時代的動向から切り離され、あるいはそれを知り得たとしても反応することが憚られた旧東ドイツの特殊な状況下において、ベックマンは長く具象絵画の規範であり続け、そこでは独自の受容史が編まれていたはずだ。ラオホの複雑な絵画はその遺産の自覚的継承の先にある。 80年代にベックマンの影響を受けたことにたびたび言及するドイグが、こうした分裂的な受容の様相をどれだけ意識していたかは寡聞にして知らない。しかし、ロンドンに絵画の復権を知らしめた「絵画における新しい精神(A New Spirit in Painting)」展でペンクやバゼリッツら東ドイツから西側に移った画家の作品が展示され、翌82年からは東ドイツの絵画を初めてまとまった形で紹介した「時代の比較(Zeitvergleich)」展が西ドイツ6都市を巡回するなど、鉄のカーテンの向こうで異なる具象絵画の系譜が展開していたことを、ドイグは知り得たはずである。 マックス・ベックマン《男と女》1932年、油彩・キャンバス、175×120cm、個人蔵 このことが、ロンドンを離れカナダに戻ったドイグが彼の地の近代絵画に目を向けたことに、些かなりとも関係してはいないか。絵画において「すべてが有効、あるいは有効かもしれない」3と思わせられる状況のもとで、敢えてカナダ以外ではほとんど知られていなかった造形イディオムを自作に導入したこと。その選択の背景に、それまで不可視だった具象絵画の系統と展開を目撃した衝撃を見出そうとするのは、はたして考えすぎだろうか。 註 “Neo Rauch’s Creature Discomforts,” ELEPHANT Issue 30 [Spring 2017], p.136 “Holger Broeker im Gespräch mit Rauch im Goethe-Institut Prag, 10. Mai 2007” eigen-art.com/files/nr-gespraechprg.pdf 「ピーター・ドイグ パリナ・モガダッシによる対談(2011年)」、『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、195頁。 『現代の眼』635号
内なるスタジオ
ピーター・ドイグを語るのは容易ではない。例えば《エコー湖》(1998年)では引用元である映画「13日の金曜日」の他にデビット・ミルン、ニューマン、ボナール、ムンクなど言及すべき参照項が無数にあることに戸惑うだろう。さらにドイグの作品は時期によって絵画様式が異なる上に、作品が別の作家の作品と過度にネットワークを結んでいるため画家の全体像を捉えるのが難しい。もちろん、先行する美術作品や映画をはじめとする視覚文化のリソースに依拠しない作家など存在しない。ドイグの作品は一見、オーガニックで絵画を描く喜びに満ちているように見える。しかし、いわゆる天性の才能や絵画制作における表現主義的な意味での即興性と決断力によって作品が作られているとは言い難い。優れた画家であることは間違いないが、彼は自身の凡庸さ、平凡さと向き合い、人一倍葛藤し続けてきた画家なのではないか。このことがドイグを語ることを難しくしていると言えないだろうか。 会場風景│撮影:木奥惠三 どういうことか。ドイグ作品の構造だけを抜き出せば、つぎはぎだらけのモンタージュのようだと言える。ドイグ作品に登場するモチーフの形態は家であれ、人物であれ全てがぎこちなく、スナップ写真や絵葉書や映画のワンシーンなどの元ネタに準拠しているし、作例によってはまるで転写したように元ネタの形態とフォルムが一緒である。ドローイングを経由させることで多少、デフォルメを加えることはあるものの、ドイグ作品に登場するモチーフには伝統的な画家のような卓越したデッサンによる肉付けや、キュビスムのようなひとつの形式に基づいた還元は見られない。わたしはドイグのスタジオを覗いたことがないが、ドイグ作品にはあたかもプロジェクターでキャンバスに投影したイメージを筆でなぞったり、型紙を使って描いたりしたような形が散見される。あるいは、それらのアウトラインに拘束されながらも、わざと稚拙な形に歪めたりもしている。キャンバス上で「正解の形」に至るまで何度も修正したような痕跡は見受けられず、試行錯誤の痕跡があったとしても、それはわざと「マーキング」のように残されているに過ぎない。そもそもドイグにとっての「正解」は、どんなにドイグが様々な絵画様式を取り入れていようとも、近代の画家たちとは根本的に異なる。例えば再現性のある描画パートとニューマンの「ジップ」に由来する水平の帯のパートの界面は、通常であれば齟齬をきたすだろう。ドイグの作品の中では本来であれば無関係であるはずのものたちが唐突に出会う。にもかかわらず、ちぐはぐな印象を受けない。またドイグは描くことによって得られる手応えを常に疑っているように思える。確かな参照元があるからこそ描画の結果を逆算し、絵具の物質性をよく吟味し、各パートの表面の質感や肌理を徹底的に編集し尽くすことを可能にしている。例えばそれは白の絵具の使い方からも明らかだろう。上層の絵具のベースを担う、噴霧される、キャンバスの目に染み入るように滴る、厚ぼったく斑状に塗るなど、絵具の白をたんに「色」ではなく物質として捉えているのだ。ドイグ作品における肌理はイメージ以上に多様であり、美術に限らないあらゆる視覚文化の蓄積と経験の厚みを感じずにはいられない。つまりドイグはどんなに凡庸な構図でも、キメラのようにちぐはぐなモンタージュでも、絵画らしいフレーバーをたっぷりと付与することで「ひとつのピクチュア」として統合してしまう。ドイグは絵画の世界にどっぷりと浸かっていると同時に、絵画が成立するための諸条件をかなり突き放した地点から捉えている。絵画に没入する自分とそれを俯瞰するメタ視点が絡み合っている。 ところで、90年代初めのあまりにも見どころの多い画面に比べると近作はあっさりして見えるかもしれないが、物質感の差異を小さくすることで一見ノーマルな絵画に見せかけることに成功している。それはドイグの絵画を見るまなざしの精度がより高まっていることを意味する。初期作品のような圧倒的な手数と情報量、そして過剰とも言える絵具づかいといった特徴は見られなくなったが、近作は初期作品と同等かそれ以上の解像度を有している。ドイグをドイグたらしめているのは天然の描く才能ではなく、常に冷静に自身の持ち物と外部からのデータベースとを調合し、「絵心」自体をカスタマイズできる「内なるスタジオ」なのだ。抽象的な言い方になるが、ドイグの絵画群は、今も生成中の大きな「スタジオ」の絵の中の画中画たちを自在に切り分けたものだと思える。だからこそ、それらはキャンバスの矩形に規定されないし、複数の絵画が一枚の絵をシェアするようなドイグの絵画世界を可能にしているのだ。 『現代の眼』635号
「裏」からピーター・ドイグの絵画を見ること
はじめに:作品の「裏」 目の前の作品は、一体いかに描かれたのか。どのような道のりを経て、私たちの元へ辿りついたのか。どんな方法で作品は固定されているのか。過去に行われた修復はいかなるものだったのか──作品の「裏」は、いつも興味深い。保存修復に携わる人間は、熱心に「裏」を見ることがある。そこには、「表」を見るだけでは知り得ない情報が満ちている。 ピーター・ドイグ展に出展されるいくつかの作品を米国から運ぶにあたり、現地で作品点検を行い、梱包に立ち会って、作品と共に貨物便で日本へ飛んだのは、2020年2月のことであった。まだ肌寒いニューヨークで、ギャラリーに置かれたドイグ作品を目の前にし、ぐるりと後ろに回り込んで点検をする。これほど間近にドイグ作品を見ることは、裏からはもちろん、表からも初めての経験であった。 彼の作品群を点検した際に抱いた第一印象は、作品の保存状態が安定しており堅牢であること、そして、制作後に第三者が何らかの処置を行った形跡が──換言すれば、修復の痕跡がないことであった。 ほぼすべての作品の状態が良好である理由には、当然、制作からそれほど長い時間が経過していないこと、そして、ギャラリーにおける保管状況が適切であることが挙げられる。加えて、そこには作家の目配りが行き届いているという気配が、確かにある。ギャラリーの人々の言葉を借りるなら、作品に伴うこの種の「Firm(確かで/堅牢)」な印象は、本展に出展されている全作品を点検した後も揺らぐことはなかった。実際に作品を目にすると、経年に起因する変化は決して作品の物理的な構造を弱体化させることなく、たとえ変色や変形がわずかに発生していたとしても、それはドイグがほぼ予測している範疇で起こっている出来事のように感じられた。「絵具の奇妙なふるまい」と彼が呼ぶところの経年変化──「それが悪くなったときにどのように性格が変わるのか、それからある色がどのように違う種類の乾燥を引き起こすのか」を見守り、「あらゆる小さなことを楽しんでいる」と述べるドイグであるが、古典絵画技法を踏まえた注意深い制作態度は、総じて良好な作品の保存状態の維持を可能にしているように思われた1。 今回の展覧会のために点検した限り、ドイグ作品には、ほとんど修復の跡がない。制作技法を確かめ来歴を調査するにあたって、この事実は非常に大きな意味を持つ。よく知られたこととして、近代に描かれた絵画作品は、しばしば裏面を当て布によって補強する「裏打ち」の処置が行われており、制作当時の状況を窺い知ることが困難である。一方、ドイグ作品の裏面は、多くの「比較的新しい時代」に描かれた現代美術の作品群の例に漏れず、その多くが制作時の仕様を変更されることなく保存されており、つまりはドイグの「仕事の様子」をそのままに確認することができるのである。 ピーター・ドイグの絵画の裏に、一体どのような発見があったのか。ここからは、支持体(キャンバス)と構造(ストレッチャー・フレーム)の特徴をもって、振り返ってみることとしたい。 1 支持体:透過、液体、しみ キティ・スコットがドイグ本人との対話において振り返るように、1990年代後半から、ドイグの絵具の扱いは変化し、分厚く油絵具を塗り重ねる方法から、「薄い最低限のウォッシュ」へと変容する2。下塗りを施したキャンバスに代わってしばしば用いられるのは、薄い麻布である。水溶性のエマルジョンを溶媒に描かれる絵画は、その薄く艶やかな支持体の上で「流れて」「にじむ」ことになる3。1993年に制作された《ブロッター》の主題そのままに、キャンバスはまさにある種の吸い取り紙=Blotterと化して絵具とメディウムを引き寄せている。私たちがここで目にするのは、分厚く塗り重ねられ隆起し、じりじりと乾く──実のところ、ドイグはそのような油絵具の性質と遅乾性、ままならなさを前向きに評価するのだが──絵画層ではない4。粘り気のない液体は布を通過し、イメージは、あたかも「濾過されたあとの残留物のように」薄いレイヤーとして、ぼんやりと淡く重なり合いながら出現する5。ここにおいてキャンバスは、イメージが出現するための通路、濾過装置として機能しながら、描画層をいわば「漉し取って」いるとさえ言えるかもしれない。 「麻布に水性塗料 Distemper on linen」と表記されるこの種の作品群を裏面から見ると、画布の布目を通過した絵具が、作品と同寸法の「反転図」を描き出しているさまが確認できる。ドイグは、薄く溶いた絵具を何度も重ね、時間をかけて作品を制作する。つまるところ、この裏面に浮かび上がる巨大な「反転図」=しみは、表から作品を鑑賞する際には確認できない第一層の描画の痕跡なのである。おそらく作家の意図を超えたところで、もうひとつの豊かな景色が作品の裏に表出していることになる。 《スキージャケット》(1994年)をはじめ、描き、塗りつぶし、削り、盛り、吹き付ける、複雑な制作工程を描画層から確認できる作品がある一方、《ピンポン》(2006–08年)や《ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)》(2015年)[図1]のように、裏面に表出した「しみ」が、図らずも描画イメージが形成されるまでの時間の複数層を可視化させ、饒舌に制作の経緯を物語る例もある。後者の作品群のキャンバスは、経過する時間の中間にあって、あたかも砂時計のオリフィスのごとく、過去と現在の境界へ、水気に潤む橋をかけるのだ。 図1 《ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)》(2015年、水彩塗料・麻)の裏面|筆者撮影 前述の《ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)》のライオンを裏面から見ると、その首は表面に描画されたそれとわずかに異なる角度に伸びている。薄い支持体を裏から見るとき、ドイグが描いた事物の輪郭は完全に重なることなく、互いが互いの影のようにして重なり合う。このわずかな「震え」は、作品に刻まれた時間の距離であり、異なる色彩の階層が放つ非公式の唱和のようなものだ。オスカル・ドミンゲスがデカルマコニー技法を採用して紙に滲ませた《ライオン—自転車》(1936年)のように(ドイグの実践はドミンゲスの技法的「転写」とは異なるが)、ここでは、まさに字義どおり「décalage(ずれ)」「décalage horaire(時差)」が、一頭のライオンの表裏で生じているのである。 ドイグ作品における「時間」の問題は、美術史を闊達に横断しながら「異なる文脈を持つ図像を別の文脈のなかへと送り込み、移し替え、翻訳することをほのめかす」作家の姿勢について考える上で、重要な鍵となっていることは間違いない。桝田倫広は、こうしたドイグの空間的・時間的「トランス(越える/移動する)」性に注視した上で、彼をトランスアトランティック(大西洋横断的 transatlantic)な作家と捉えている6。各地を転々としながら制作を続けてきた実際のキャリアに加えて、主題を、技法を、素材を自在に「超える」ドイグの軽やかさは、画布の表裏を物理的に絵具が通過する時間の痕跡を目にする過程で、より鮮やかに印象づけられることになった。 2 構造:影 ドイグの「軽やかさ」について語るのであれば、ドイグの絵画を支える物理的な構造=ストレッチャー・フレームについても触れておかなくてはならないだろう。大きなキャンバスを張り込むにあたって、ドイグは、金属製の軽量ストレッチャー・フレームを考案し採用している。このフレームは解体が容易で、また、複数の桟により多点で作品全体を支えることができ、必要に応じて細やかにキャンバスのテンションを調整できるようにもなっている。 ドイグ作品の多くについて、展示時にはその物理的な「軽さ」と「扱いやすさ」に驚かされたが、それはこのフレームに依るところも大きい。興味深いことに、作品を垂直に立てると、薄い布の向こう側にフレームは樹木のように浮かび上がり、描画層の「背後から」影を落とす。当然のことながらこのフレームの構造は、白い壁に作品を密着させ展示すれば途端に見えなくなってしまうのだが、いわば、作品点検する者に許されたちょっとした特権として、私はこの現象を目撃することになった。 図2 裏面からの光によりストレッチャー・フレームが浮かび上がる《二本の樹木(音楽)》(2019年、水彩塗料・麻)|筆者撮影 《二本の樹木(音楽)》(2019年)[図2]をはじめ、作品を垂直にした途端、作品に描かれた影と呼応するかのように重なり合う格子(グリッド)状の構造は、キャンバスと絵具層の薄さを明白に認識させるものであった。ドイグの近作に見受けられるこうした「厚みの減少」、あるいは光透過性は、「ジグマー・ポルケの採用した透明な支持体から見え隠れする構造に感銘を受けた」との2014年の作家の証言をふと思い起こさせるものである7。同時に、「より少ない物質でもって表現する」ために「ますます絵から多くを省こうと」している、という一節のひとつの現れであるようにも思われる8。展示時の照明下では、十分に確認することは難しいかもしれない。だが、ドイグの作品は確実に透き通り、絵具は緩やかに溶かれて混じり合いながら、繊維を伝って異面へと連なっている。いうなれば、「絵具はもはや硬い粘着力のある物体ではなく、貴重で変わりやすい、生きたものになって」9、描画層は絵画の起源そのもののように──影のように、痕跡のように、鏡のように、なかば透明な開かれた窓(aperta finestra)として、鑑賞者の前に立ち現れているのである10。 3 時間を旅する 冒頭でも述べたように、ドイグ作品のほとんどすべてに関して保存状態は良好であり、経年変化はドイグの予測の域を大きく逸脱しない範囲で起こっていることのように思われる。このことと、ドイグがメディウムの手綱を緩め、呼吸させ、その自由さに遊ぶことは、一見矛盾するようでいて、実のところそうではない。 ピーター・ドイグは旅をし、たびたび住まいを変えてきた作家である。彼が積み重ねてきた旅とは、おそらく、地理的な距離のことだけを指すわけではない。その旅は、美術史の記憶を辿り、イメージを反芻し、練り直しながら新たなものを生み出してきた工程そのものでもあったろう。キャンバスに染み込む絵具、浮かび上がる構造。そこには、注意深いコントロールがあり、彼が長い「旅」の途中で、絵画上に反芻し練り直してきた反復と修正の蓄積がある。ドイグ自身が注意深く述べるように、絵画においては、「絵具それ自体が完全に勝ってしまわないように」しなければならないし、絵具はイメージを支えるものでなくてはならないからである 11。 ドイグの初期作品から近作までを見晴らすとき、私たちはその技法や構図の変化──比較的大きな差異、とも呼べるかもしれない──に戸惑いを覚えるかもしれない。前者が「綿密に練られた」ように見受けられるのに対して、後者における広々とした空間や溶け広がる絵具が「ゆるく、つかみどころのない」ものであるかのように映るかもしれない。ただし、支持体とメディウムの厚みが減じること、結果そこに「影」が落ちることは、作品の内外を織り成す時間の層を危うくすることはない。むしろ、しなやかに表裏を行き来し呼吸する絵具の浸透率、その広がりにやどる時間には、ふくよかな豊かさを見出せるのではないだろうか。 ドイグ作品の「裏」を見る。そこに確認できるのは、過去から現在へ、現在から未来へと流れる、絶対年代の流れだけではないだろう。絵画の裏に表出するしみと、光を通して表に落ちる影は、作品に内在する異なる時のかたちを描き出す。油は油の、水は水の、布は布の、金属は金属の時間を有している。多種多様な「時間の包皮」12の内側にあって、そのすべてを通過させるものとして、ドイグ作品は私たちの生きる時間に到達するのである。 註 「ピーター・ドイグとアンガス・クックの対話」、『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、188頁。 自身もしばしば振り返るように、ドイグは絵具と溶剤に何ができるのかを問い続け、模索し続けてきた。「キティ・スコット、ピーター・ドイグとの対話」、『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、202頁。 リチャード・シフ「漂流」、『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、170頁。 マシュー・ヒッグス「ピーター・ドイグ──20の質問」、『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、211頁。 Adam Heardman “Lions, Lifelines, Speedos: The New Paintings of Peter Doig” in Mutual Art, 6 September 2019. https://www.mutualart.com/Article/Lions–Lifelines–Speedos–The-New-Paint/1FD59DD2B457648A (25 May 2020 confirm) 桝田倫広「東京でピーター・ドイグについて想像する」、『ピーター・ドイグ』図録、東京国立近代美術館、2020年、21頁。 Artist interview, Mark Godfrey and Peter Doig “A contemporary visionary (part II) Peter Doig on Sigmar Polke” 5 Dec 2014. https://www.tate.org.uk/tate-etc/issue-32-autumn-2014/contemporary-visionary-part-ii (25 May 2020 confirm) マシュー・ヒッグス前掲書、210頁 ケネス・クラークは晩年近くのティツィアーノ・ヴェチェッリオ作品の自由闊達さを、この一節をもって評価している。以下を参照。ケネス・クラーク(北條文緒訳)『視覚の瞬間』、法政大学出版局、1984年、270頁 岡田温司『半透明の美学』岩波書店、2010年、4頁・19頁。 マシュー・ヒッグス前掲書、211頁。 ジョージ・クブラー(中谷礼仁、田中伸幸訳)『時のかたち 事物の歴史をめぐって』、鹿島出版会、2018年、193頁。 『現代の眼』635号
