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コロナ禍の教育普及活動(1)――代替プログラムでの新たな試み
2020年度、新型コロナウイルス感染症の流行により、多くの美術館があり方の変容を迫られたことだろう。教育普及活動も感染症拡大防止対策下で大きく影響を受けた。当館においては安全性の観点から、ギャラリートーク・講演会など対面で実施するすべてのプログラムが今なお休止されている1。代替する形でオンライン上での活動は充実し、新たな試みも実施された。本稿では、感染症対策下で中止された2つのプログラムとその代替プログラムについて報告する。 ピーター・ドイグ展 ワークショップコーナー ⇒ピーター・ドイグ作品で物語をつくろう! ピーター・ドイグ展では、当初、ぬりえとワークシートを誰でも楽しめるワークショップコーナーを設ける予定があった。用具の共有や会話を伴うと想定される点から、感染リスクに配慮し中止とした。ぬりえ用紙は会場出口にて配布し、持ち帰って取り組めるようにした。 代わって実施された企画のうちひとつが、「ピーター・ドイグ作品で物語をつくろう!」である。臨時休館の影響で会期が延長されたこともあり、小学生から高校生に向けて夏休みの時期に実施された。8点の課題作品から1点を選び、絵から想像した物語をメール(テキストまたは作文の画像)で送信する。応募期間は8月4日(火)~8月31日(月)、応募総数は273件、うち1週間ごと当館研究員が選んだ入選作品計49件がホームページ上に掲載され、さらに一部は館内エントランスにも掲示された。 ピーター・ドイグ展はホームページ上で3DVRも公開されていたため、美術館に足を運ばずとも本企画に参加できた。参加者の中には、デジタル画像を見て書いた物語を投稿し、入選して館内に掲示されたことが来館のきっかけとなった者もいた。出品作鑑賞のきっかけを提供するという目的と子ども・ファミリー層を意識したことは同じだが、来館者を対象とするワークショップからオンライン上での企画へと代替されたことで、参加者と展覧会との結び付き方が変化したといえよう。 ガイドスタッフによる所蔵品ガイド ⇒オンライン対話鑑賞/YouTube再生リスト「MOMATガイドスタッフ」 当館で毎日続けてきたガイドスタッフ(解説ボランティア)による対話鑑賞2プログラム「所蔵品ガイド」も、密集して会話しながら鑑賞するため2月より休止となった。代替案の試行や研修を重ね、現在は新たな試みである「オンライン対話鑑賞」と「YouTubeへの動画投稿」が実施されている。 オンライン対話鑑賞は、ウェブ会議ツールZoomを利用した双方向参加型のオンラインイベントで、10月より開始した。定員6名程度、作品1点を45分間で鑑賞する。展示室での鑑賞よりもサイズ感や質感などが掴みづらい一方、高精細画像を用いるため拡大し部分詳細をよく観察できるのが特徴のひとつだ。参加後アンケートでは高満足度評価を得ているが3、参加者募集開始直後に定員が埋まってしまうなど、所蔵品ガイドと比べて参加機会が十分とはいえない。 また、11月より当館YouTubeチャンネルに再生リスト「MOMATガイドスタッフ」を設置した。ガイド参加者の反応などを交えて所蔵品を紹介する動画を投稿している。定員がなくいつでも視聴できるため間口は開かれているが、一方的な配信であり再生数や評価ボタン以外で視聴者の反応を得るのが難しく、フィードバックについては課題が残る。 こうした代替案の検討は、プログラムの目的や本質を見定める機会となった。所蔵品ガイドとその代替プログラムにおいて共通する点は、(1)所蔵品鑑賞の一助となること、(2)ガイドスタッフがその担い手となり蓄積したスキルを活かせること、である。異なる点については表1に比較してまとめた。 所蔵品ガイドオンライン対話鑑賞イチオシ作品紹介動画環境展示室オンライン(Zoom)オンライン(YouTube)スタイル双方向・対面双方向一方向(配信)頻度毎日週に2回程度週に1回鑑賞作品数3点程度1点1点時間60分45分5分程度定員なし(通常10~30名程度)6名程度定員ナシ表1 所蔵品ガイドとの比較 オンライン対話鑑賞では、自宅でリラックスしていたり、職場から接続したりする様子に、時折参加者の生活感が滲み出る。そうした映像に、筆者は画面の無機質さよりもむしろ一種の生々しさを感じることがある。オンラインという手段には、距離などの空間的制約だけでなく、自身の生活圏から接続することで精神的な制約をも乗り越えられる可能性がある。代替案として始まった試みだが、様々な制約から美術館に足を運びづらい人に差し伸べられる手段として展開することを期待したい。 註 2021年2月現在。 解説を聞くだけではなく、作品の観察に基づいて話し合い解釈を深めていく鑑賞方法。当館では2019年からビジネスパーソンや外国人に向けても実施され、今後の展開が期待されていた。 2月12日現在、アンケート回答102件中、満足度5段階評価で「大変満足」、「満足」が97件。 『現代の眼』635号
コロナ禍の教育普及活動(2)――ICTを活用したスクールプログラムの新展開
東京国立近代美術館のスクールプログラムの基盤となっているのは、ギャラリーでの対話鑑賞1である。しかし、新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、中止になってから1年が経とうとしている。一方で、ICTを活用することにより、これまでとは違ったアプローチが可能になりつつあるので報告する。 学校へ提供できる3つの方法 コロナ禍等で来館できない場合、あるいは来館の前後に授業を行う際に、当館が学校へ提供できる素材と方法は次の3つである。 ① 国立美術館アートカード2 国立美術館5施設が所蔵する作品65点を、ハガキ大のカードにした鑑賞教材。「誰でも、いつでも、どこでも」簡単に使えて汎用性がある。2008年制作、貸出可能。 ② 鑑賞素材BOX3 主に小学校から高等学校までの授業で活用されることを想定したデジタル鑑賞教材。アートカード作品を、高精細画像で電子黒板へ投影したり、タブレット端末へ配信したり、ワークシートを作成したりすることができる。授業準備にあたっては、「図工・美術のキーワード」や「他教科へのひろがりキーワード」を使って作品を選ぶことができる。2020年3月公開。 ③ Zoomなどによる授業協力 別稿(コロナ禍の教育普及活動(1)――代替プログラムでの新たな試み/細谷美宇)で紹介した「オンライン対話鑑賞」での経験を基に、2020年12月より開始した、ウェブ会議ツールZoomを使った双方向型の遠隔授業。 授業目的や通信環境などを教員と相談の上、これら3つの方法を組み合わせてスクールプログラムの実施となる。実践例を以下に挙げる。 実践例 ICT教育に力を入れる千代田区立九段小学校では、大高美和教諭が5年生77人に「なりきり!作品調査団」という授業を行った。まずアートカードで「音・声かるたゲーム」をした後、「鑑賞素材BOX」から作品1枚を選び、グループで話し合う。その際、1人1台端末で高画質の画像を自在に拡大しながら観察したり、端末から共通のファイルにコメントを書き込んでいく[図1]。最後に当館と教室をZoomでつないでグループごとに発表を行い、学芸員がコメントしつつ作品情報を伝えた。児童の様子からは、自分の考えを発表できたことや、それを学芸員に認めてもらったことから、達成感や自信につながる喜びを感じていたことが見て取れた。 図1 千代田区導入の学習活動ソフトウェアSKYMENU Classの機能、「みんなの作品」への付箋書き込みによる話し合い(九段小学校) 都心より船で26時間以上かかる離島にある小笠原村立母島中学校では、全中学生10人に対して大黒洋平主任教諭が3回の鑑賞授業を行った。アートカードを使った「伝言鑑賞ゲーム」で所蔵作品に興味をもたせ、「鑑賞素材BOX」とワークシートで2枚の海の作品を比較鑑賞した後、当館と教室をZoomでつないで筆者が遠隔ギャラリートーク[図2]を行った。美術館に行ったことのない中学生が、美術館を身近に感じる機会となった。全校教諭の協力のもとで本授業が行われたこともあり、今後、社会科や保健体育科、数学科等へ展開する予定もある。 図2 当館と母島中学校をZoomでつないだ遠隔ギャラリートーク 知的障害をもつ高校生が学ぶ筑波大学附属大塚特別支援学校高等部とは、北村洋次郎教諭の指導のもと、高1から高3まで23人の3教室と当館をZoomでつないで遠隔授業を行った。「鑑賞素材BOX」の作品から、学年ごとに「お気に入りの1枚」を選び、筆者と対話鑑賞する。ほぼすべての生徒が、自分なりの表現で積極的に意見を述べ、またワークシートに記述してくれたのが印象的であった。 コロナ禍対策のためGIGAスクール構想(1人1台タブレット端末の配布による個別最適学習)が前倒しされたこともあり、美術館・学校ともにICT活用が進んだ2020年。筆者はこれまでも、これからの美術館のスクールプログラムには次の視点が必要であると述べてきた。コレクションの活用/対話鑑賞など探究的な学び/学習指導要領の反映/美術という教科を超えた学び/オンライン活用であるが、オンライン活用が実用化されることによって、他も促進されると思われる。先日開催された「美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修15周年シンポジウム」4でも討議されたように、コロナ禍が収束した後も、「ICTによるバーチャルな活動」と「美術館で作品に触れるリアルな体験」の両輪によるハイブリッドな学びが、全国的に展開されていくことになるだろう。 註 観察や鑑賞者同士の対話によって解釈を深めていく美術鑑賞方法。探求的な鑑賞。東京国立近代美術館では、スクールプログラムとして、解説ボランティア1名と児童生徒10人前後によるグループでの対話鑑賞を行っている。 http://www.artmuseums.go.jp/kensyu/art_card.html https://box.artmuseums.go.jp/ 平成28–30年度 科学研究費助成事業研究基盤研究(B)「美術館の所蔵作品を活用した探求的な鑑賞教育プログラムの開発」(代表:一條彰子)。 http://www.artmuseums.go.jp/study/index.html 2021年2月14日、オンラインによる開催。 『現代の眼』635号
田中功起《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》「手話とバリアフリー字幕版」(2013/2021年)オンライン無料公開のお知らせ
※オンライン無料配信は終了しました。 田中功起《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》「手話とバリアフリー字幕版」(2013/2021年) このたび、東京国立近代美術館では、幅広い鑑賞の機会をつくるため、所蔵作品である田中功起《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》(2013年)の「手話とバリアフリー字幕版」(2021年/HDヴィデオ/カラー/サウンド/80分)を制作しました。この映像をオンラインにて無料公開いたします。 「美術館で映像作品を楽しみたい。」 このプロジェクトは、一人のろう者の言葉から始まりました。近年、映画をBDあるいはDVDで鑑賞する際には字幕を選択できる場合があります。また映画館では、ろう者・難聴者・中途失聴者などのアクセシビリティを拡充する目的で、バリアフリー字幕をつけて鑑賞できる場合があります。しかし、美術館などで展示される映像作品に、バリアフリー字幕や手話による映像が付帯する例はたいへん少ない状況にあります。現状、ろう者・難聴者にとって、美術館で映像作品を鑑賞することは高いハードルがあるのです。 2018年6月13日「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律(平成30年法律第47号)」が公布、施行されました。この法律では、「障害者が必要な支援を受けて文化芸術を鑑賞する機会を拡充する必要性」がうたわれています。これに基づき、当館は国立の美術館として、アーティストの田中功起氏の全面的な協力のもと、所蔵作品である《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》(2013年)の「手話とバリアフリー字幕版」及び「手話についての解説動画」(2021年/HDヴィデオ/カラー/サウンド/本編75分・解説5分、合計80分)を制作しました。 今回、手話とバリアフリー字幕をつける映像作品として選んだ田中氏の作品は、第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2013年)で特別表彰を得た日本館での展示「抽象的に話すこと-不確かなものの共有とコレクティブ・アクト」の出品作の一つであり、国際的に評価の高い作品です。それぞれの出自や境遇、考え方の異なる5人の中国の陶芸家たちが、一つの陶器を協働で制作するプロセスを記録したドキュメンタリー作品であり、カメラを通して見えてくる世界は、まるで社会で暮らす我々の日常を抽象化しているかのようです。 5人の陶芸家のうち男性3人を野﨑誠のざき まこと氏(手話ナビゲーター)、女性2人を佐沢静枝さざわしずえ氏(手話ナビゲーター)が演じます。手話の監修は、木下知威きのした ともたけ氏(手話マップ)が担いました。監督は、田中功起たなかこおき氏です。 また、2020年は、コロナウィルス感染症がひろがりにより、多くのアーティストが展示の機会を奪われました。本プロジェクトはこのコロナ禍での作家支援も兼ねています。 アート作品としての映像に、バリアフリー字幕のみならず手話をつけるという本プロジェクトは、世界的にみても数少ない取り組みです。ろう者・難聴者・中途失聴者の皆さんのみならず、手話やバリアフリー字幕にご関心のある方にも、是非ご覧いただきたいと考えています。今回の取り組みが、今後、インクルーシブな(誰も排除されない)芸術鑑賞の機会が増えていくための一助となることを願っています。 公開期間は2021年3月31日~2022年3月31日まで。無料で、1年間の期間限定的な公開となります。※オンライン配信は終了しました。ご視聴いただいた皆様ありがとうございました。 東京国立近代美術館 2021年3月吉日 トークイベント「沈黙による試みー映像のバリアフリー化について」※手話と日本語字幕入り(事前収録) 日本全国で、聞こえない・聞こえにくい人は約1000万人いると言われています。 昨今、美術館で展示される映像作品は増加傾向にありますが、それらに手話やバ リアフリー字幕(話者名や音声情報を文字で表現したもの)がつく事は殆どありません。よって、聞こえない・聞こえにくい人にとって映像作品を観ることには、大きなハードルがあります。この状況を改善すべく、東京国立近代美術館 は、所蔵の田中功起《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》 「手話とバリアフリー字幕版」を制作しました。世界的にみても、稀な取り組みです。こちらは2022年3月末まで無料配信しました。このトークイベントでは、この制作を振り返ると共に、ゲストスピーカーを迎えて、改めて映像のバリアフリー化について考えます。 https://youtu.be/5RsUijlnV70
あやしい絵展の二つの衝撃
会場風景|撮影:木奥惠三 熱が冷めやらない。展覧会を見終えた後、グルグルと廻る頭を冷ましたところで、二つの衝撃がこの熱を生んだのだと思い至った。 そのファースト・インパクトは、安本亀八の生人形《白瀧姫》ではじまる展示構成だ。長袴の緋色が燃えるように揺らめく黒い床が、初っ端に眼に入る。「絵」の展覧会なのに、立体造形からはじまる展示構成で、鑑賞者の先入観や事前の知識を洗い流してしまう。そしてあやしい世界に稲垣仲静の「猫」がシルエットでいざない、処々でカッティングシートの切り文字の都々逸が、あやしい絵を彩り、蜘蛛の糸のように絡み合う作品群を大きな奔流に輻湊ふくそうさせている。 会場風景 本展では展示ブロックごとに、視覚的に異なる世界を見せようとしていることが明らかだ。甲斐庄楠音の《畜生塚》をはじめとする大型作品を、長手のケースに並べていき、そこからでは見通せない後半の展示ブロックで小村雪岱の挿絵がまとめられている。この展示の位置関係には、大きな意味がある。展示室を歩み進むことで、ケースから離れて作品の全体像を見たり、反対にケースを覗き込む動作は身体的な刺激になって序・破・急のようなインパクトを眼に与えていく。平面作品といっても、物理的な厚さや重さを持つリアルな作品が並ぶ視覚効果は、一つの物語を読み進める心の動きと同じ作用をするのである。 しばしば見かける展覧会——作品を時系列に並べて、展覧会カタログに著したエッセイの挿絵のごとく作品を扱う——では、この物理的な衝撃は生まれてこない。この展示構成によって、本展カタログなどに示された展覧会趣旨を読まなくとも、その意図は伝達されている。 そしてセカンド・インパクトは、幕末・明治から大正、昭和時代に描かれた作品そのものである。とりわけて楠音や岡本神草といった京都市立絵画専門学校の卒業生たちによって結成された「密栗会」の作品は目が離せない。西洋社会の思想潮流が流れ込んだ日本の社会状況に照らし合わせながら、作品が選択されているので現代の私たちの眼にも、突き刺さるような波動を作品の「かたち」から受け取り、ザワザワと心が波打つのである。 また橘小夢の《水魔》を見つめていると、水面に広がる波紋が画面下にあって、河童に画面上へと連れていかれる人物は、もしや男性なのか?と一つの作品の中に深く深く引き込まれていく。なぜこのような心持ちになるかというと、近代日本において、西洋文明の波を受けた暮らしぶりと、現代の私たちの生活は、近代以前の日本の世界観、価値観に立った視点と比べれば、はるかに近しいところにあるからだろう。 そもそも「あやしい」とはいったい何か。時代や地域、さらには階層(「人による」と同義)が違えば、この「あやしさ」の定義はそれぞれ異なるものとなるだろう。 造形の歴史の中では、「あやしさ」はどのように生まれたのだろうか。「美」や「美しさ」といわれるものは、絵に表される場合、しばしば「型」によって表現されている。歴史的にいえば、絵画を制作する主体(多くは宮廷などにおける権力者の男性)が望む「美しさ」が型となって表されている。描かれる対象が女性であれば、男性が望む表情やしぐさが型として継承されていった。そして古今東西問わず「表面的な美しさ」が連綿と描き続けられた中で、それらとは異なるもの、逸脱したものが「あやしさ」として現れたといえよう。大正期には「あやしい絵」が京都で数多く生まれたが、それは上方の浄瑠璃、歌舞伎、浮世絵に表された当世風俗(「世話物」のモティーフ)のあやしい「型」が脈打っているからであろう。 図1 岩佐又兵衛《洛中洛外図屏風》舟木本(左隻部分)江戸時代(17世紀)、東京国立博物館蔵、国宝 その上で18世紀に描かれた曾我蕭白の《美人図》と、大正7年の上村松園の《焔》にしぐさの相似を見るとき、その型は同じ「あやしさ」を生み出しているのだろうか? 「あやしさ」は時代や地域によって千差万別だ。例えば日本の江戸初期に描かれた国宝《洛中洛外図屏風》舟木本に登場する小姓を抱きしめる僧侶の姿[図1]を、この絵を見た人々はどう感じたのか。「あやしく」見えたのだろうか。当時の身分や思想、あるいは男女によっても受容する側の感じ方はさまざまに異なっていたはずだ。 人類の造形史の中で、「あやしさ」をたどることは気の遠くなる作業であるが、このあやしい絵展では、まさにダイバーシティ(ここでは「視点」の多様性)を実感できる。日頃思い描いている世界が、揺り動かされる展覧会ということだ。SNS上でも喧喧囂囂ごうごう、さまざまな意見が飛び交っている。多くの人々が展覧会に注目して、それに向けて意見を発出する展覧会企画はそうそうない。学芸員冥利なことであろう。 本展は大阪へ巡回されるが、展示室の天井高、床の色、照明などが異なる会場で、どんな展示構成となって、アディショナル・インパクトを見せてくれるのだろうか。 『現代の眼』636号
畠山直哉《「Untitled (tsunami trees)」より 2019年10月6日 岩手県陸前高田市》(2019年)
畠山直哉(1958–)《「Untitled (tsunami trees)」より 2019年10月6日岩手県陸前高田市》/2019年/発色現像方式印画/108.0×126.6cm/令和2年度購入 画面の中央に立つ一本の木は、半分が枯死し、半分は葉を茂らせています。どうしてこのようになっているのか。表題にある日付と地名、そして「tsunami trees」という言葉は、それが東日本大震災の際の津波によるものであることを示唆しています。 「Untitled(tsunami trees)」の連作は、この陸前高田の木と同様に、津波に見舞われた樹木を被災地各地で撮影したものです。2020年の初頭に国立新美術館で開催された「DOMANI・明日 2020 傷ついた風景の向こうに」展で発表され、そこから3点を当館の新しいコレクションとして収蔵しました。 作者である畠山直哉は、初期、石灰鉱山をめぐる連作や、その産物であるコンクリートで形作られた都市のあり方を主題とする作品で注目された写真家です。その後も自然と人間の関わりをさまざまな視点から考察する仕事にとりくみ、その理知的な姿勢と写真作品としての審美的な完成度とを両立させた作品は、国内外で高く評価されてきました。 震災はその活動に転機をもたらしました。陸前高田出身の畠山は、このとき津波で母親を亡くし、実家を流されるという経験をします。以降、畠山は陸前高田に通い、震災後の風景を撮影し続けてきました。それらの写真はいくつかの展覧会や写真集などで発表されますが、そこには、震災前の故郷での私的なスナップ写真のような、以前は発表されることのなかった写真も含まれていました。写真を撮ることを通じてこの世界のあり方を探究してきた写真家としての活動の基盤が深いところでゆらぎ、そのゆらいでいること自体を、また考察の対象としている。活動の変化には、そうした事態が反映されていたように思います。 「Untitled(tsunami trees)」の連作は、そのような時期を経て、2017年に、ここに紹介している作品に写されている一本のオニグルミの木に出会ったことから着手されました。「昨日までの時間と、生きている「いま」の時間が、同時に2つ見える」1と、この木について畠山は記しています。 当館では震災をめぐる作品を継続的に収集しています。震災が私たちの社会にとってどのようなできごとであったのか、その経験の深層にあるものを、作品を通じて考え、次代に受け継いでいくことが、美術館の果たすべき役割だと考えているからです。震災後10年という時間の経過の中で、その経験と記憶にどのように向き合い、伝えていくかがあらためて問われている今日、この「tsunami trees」の連作は多くのことを示唆する作品だと考えます。 註 畠山直哉「気仙川のオニグルミ」、『日本経済新聞』2020年3月8日 『現代の眼』636号
版表現で見せる現代美術の動向
会場風景|撮影:大谷一郎 戦後1950年代から70年代の現代日本版画の歴史は、1957年から79年まで開催された東京国際版画ビエンナーレの受賞作を軸としてつくられたといえる。そして、主催者であった東京国立近代美術館には、同館賞はもちろん、大賞を含む多くの受賞作品とその周辺作品が収蔵されている。つまり、この美術館がその気なってそれらを一挙にディスプレイすれば、その間の現代日本版画の歴史的骨格を把握することができるわけだ。 今回、このような美術館が、日本の近現代美術の表現の歴史を体系的に紹介する常設展示室において、第7室と第8室を使い、そうした歴史とコレクションを活かした展示を企画した。見るポイントは、大きく二つある。 ひとつは1950年代から80年代の版画の表現の動向が概観できることだ。 まず第7室は、「1950–60年代—版表現の探求と挑戦」というテーマのもとに、二つの版画による表現の動向を示すコーナーが設けられていた。そのひとつは、瑛九を中心とする泉茂、磯辺行久、池田満寿夫、吉原英雄らデモクラート美術家協会のメンバーと、彼らと交流のあった北川民次による、戦後間もない時期の前衛志向の版画を紹介していることである。この協会は画家・版画家のほかにデザイナーやバレエ・ダンサー、写真家、評論家らによるグループだったが、戦後前衛表現の可能性を版画に見出し、まだ制作者の少なかった銅版画やリトグラフの制作に積極的に取り組んだ。そうした版画への挑戦が見られるのがこのコーナーだ。 第7室におけるもうひとつの展示は、戦前の創作版画からの飛躍的展開を見せる木版画の表現動向を吹田文明と日下賢二の抽象木版によって示していることである。その動向は、恩地孝四郎とその影響下での抽象木版の制作の延長線上に、1950年代に流入したアンフォルメルなどの抽象表現の動向が折り重なって生まれたものだった。 つづく第8室は、「1970–80年代の版表現—拡張する版概念のなかで」というテーマで、1970年代以降盛んになる写真を利用した版画や、同じ時期に流入したコンセプチュアル・アートとの関連性を見せる版表現、そして「もの派」の版による表現を紹介する展示となっている。 このうち、映像を使った版画は、その使用方法や目的の違いによって二種類の表現傾向の作品が紹介されている。ひとつは木村光佑、松本旻、野田哲也による、1970年代主流だった、記号化された映像によってシニフィアン(意味しているもの)とシニフィエ(意味されているもの)という記号学的アプローチを見せる作品である。もうひとつは、東谷武美と池田良二による、1980年代特有の、映像に潜む私的物語を示唆的に表現した版画である。 会場風景 また、この展示室には高松次郎による《THE STORY》や《英語の単語》など、まさにシニフィアン、シニフィエの記号学を美術で表現したコンセプチュアルな版作品と、「もの」が主体である、もしくは人間と「もの」は対等であるという考えのもとで制作した榎倉康二の、「版」「支持体」「インク(絵具)」という基本素材だけを用いた版作品が展示され、1970年代の版画概念の拡散の状況が具体的に示されている。 さて、今回の展示の二つ目のポイントは、版画を軸とした展示でありながら、戦後の現代美術の表現動向が見られることである。デモクラート美術家協会の版画の展示は、戦後間もない時期の前衛美術の表現傾向そのものを示しているし、抽象木版の出品は、同時代の表現の主流が抽象であったことを背景とした展示なのだ。写真映像を使った版画は、それ自体が時代の要請によって制作された現代美術そのものであった。見逃してはならないのは、人間から外界の物体へと探求の対象を移して制作し、「もの派」登場を促した高松次郎の影の絵画が、「もの派」と呼ばれるようになった榎倉の作品と結びつけて展示されていることだ。その関係は、1960年代末から70年代にかけての現代美術の最も重要な表現の動向を知る手がかりとなる。 今回の常設展示は、版表現の動向によって現代美術の表現の動向が概観できる、東京国立近代美術館ならではの展示となっていた。私の知る限り、少なくともこの30数年間はそうした展示が行われたことはない。常設展示室での今回の企画は、版画と現代美術の関係に気づく良い機会になるはずだ。 会場風景 『現代の眼』636号
幻視するレンズ─川田喜久治とウジェーヌ・アジェ
会場風景|撮影:大谷一郎 「幻視するレンズ」と題された本展の出品作品は1911年から1998年の間に制作された。写真家としての活動に限らず、ニューヨーク近代美術館の写真部門のディレクターを務め、各国に巡回した「ザ・ファミリー・オブ・マン」展(1955–62年)の企画でも名高いエドワード・スタイケンに始まり、1960年にサイゴン(現・ホーチミン)で生まれ、戦争や軍隊と関係のある風景を写した作品などで知られるベトナム系アメリカ人作家のアン・ミー・レーまで、本展には近現代写真史に等しい幅がある。本展の表題はそれを貫くテーマであり、現実と虚構をないまぜにするような、想像力あふれる作品が数多く紹介されている。本稿では、その中から特に川田喜久治とウジェーヌ・アジェの作品を取り上げたい。 本展に出品された川田喜久治の連作「ラスト・コスモロジー」は1995年に同名の写真集としてまとめられ、巻末に批評家の福島辰夫が「水晶の波濤………」と題した文章を寄せている。福島はタイトルをシュルレアリストたちに大きな影響を与えたフランスの詩人、ロートレアモンの散文詩集『マルドロールの歌』の第一の歌からとっているが、文中にはロートレアモンが川田の「ラスト・コスモロジー」の噂を聞きつけ、同時代の作家ヴィリエ・ド・リラダンと共に冥界からやってきたという設定で登場する。福島は彼らの言葉として次のように記している。 自分たちの19世紀末から約100年たって、いま、20世紀末の地球は、そして人間は、どのようにしているのでしょうか。[…]20世紀末最後の10年を覆う二重三重の暗雲のなかで、こうした昻揚と充実の、堅固な作品が現われる、そしてそれが現代の宇宙までとどく力強い思想と表現を持っているということは、われわれ表現者一同にとっても、まさによろこばしい一大快挙だと云うべきでしょう1。 図1 川田喜久治《20世紀日本最後の日蝕—小笠原父島》、1988年、東京国立近代美術館蔵 図2 ウジェーヌ・アジェ《サン・リュスティク通り》、1922年、東京国立近代美術館蔵 『ラスト・コスモロジー』の表紙は本展でも展示された《20世紀日本最後の日蝕—小笠原父島》(1988年)[図1]で、裏表紙は1989年1月7日、昭和最後の日に東京で太陽を写した作品だ。同書の時間軸は1969年から1994年まで四半世紀に及ぶが、川田の主な関心は天体にあり、日蝕や空に走る稲妻、怪鳥に似た形の雲など、レンズは空の諸相をダイナミックにとらえている。 福島が現代に召喚した19世紀末の二人の言葉に「20世紀末最後の10年を覆う二重三重の暗雲」とあるが、『ラスト・コスモロジー』が刊行された1995年は1月に阪神・淡路大震災が発生し、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。バブル経済が崩壊し、景気が後退する中で立て続けに起きた二つのできごとは日本社会全体に暗い影を落としたが、そのような状況下で編まれた『ラスト・コスモロジー』には暗い世相を反映しつつも、スケールの大きな、時代を超越するヴィジョンがある。 空を写した川田とは対照的に、本展の冒頭に展示されたウジェーヌ・アジェの視線は1920年代のパリの街中にまっすぐ注がれている。ショーウィンドウのマネキンや、民家が軒を連ねる人けのない裏路地など、アジェが写したパリは静けさに包まれ、都市の標本のような趣さえある[図2]。公共機関に収められるなど、近代化に伴って変わりゆくパリを記録として残すことに重きを置いて撮影されたアジェの写真だが、叙情性を排し、事物を剥き出しにするような即物的なまなざしは、思いがけずシュルレアリストたちに注目され、芸術作品としての価値が見出されるようになった。 本展の出品作品ではないが、アジェにも川田と同じく日蝕に関連した作品がある。1912年4月17日にフランスで観測された金環日蝕で、アジェがレンズを向けたのは天体ではなく、日蝕を見るためにパリ中心部のバスティーユ広場に集まった人々だ。アジェでは珍しく人物が写り、大勢の人間が同じように空を見上げ、日蝕を観察する様子が記録されている。そこには日蝕という特異な天文現象に対する、今と変わらぬ関心が露わになっている。 エドワード・スタイケンの後任としてニューヨーク近代美術館の写真部門のディレクターを務めたジョン・シャーカフスキーは、1978年に企画した「Mirrors and Windows」展で1960年以降のアメリカ写真を「鏡」と「窓」に例えて紹介した。すなわち、写真家の自己表現の手段である「鏡」と、写真家が世界を探求する手段の「窓」の二つに分けられると2。 一方で、本人も述べるように、「鏡」と「窓」の両方の性質を備えた写真もある。記録として撮影されたものの、シュルレアリストたちに芸術的価値を見出されたアジェや、暗い世相を反映しつつ、時代を超越するヴィジョンを示した川田の作品は、それになぞらえることが可能だろう。ここで改めて本展の表題に立ち返れば、幻視とはそうした両義性を呼び込むものなのかもしれない。ときに、写真家の意図を超えるかたちで。 註 福島辰夫「水晶の波濤………」、川田喜久治『ラスト・コスモロジー』491、1995年、44頁 John Szarkowski, Mirrors and Windows: American Photography Since 1960, New York: Museum of Modern Art, 1978, p.11を参照。 『現代の眼』636号
新しい素材
会場風景 撮影:大谷一郎 右端の作品が、土谷武《開放 I》1997年。 学生だった時分1、鉄は「現代的な表現」の花形素材だった。その頃の私は人体塑像に可能性を感じていて、鉄という素材には殆ど触れず仕舞いなのだが、当時、現代美術と呼称されていた表現に敏感な先輩方は鉄で作品を制作していたし、その頃の『美術手帖』で目立っていた日本の彫刻家といえば土谷武、若林奮、村岡三郎。皆さん鉄を扱っている。いまでは鉄による彫刻作品は珍しくもなく、屋外彫刻などではメジャーになり過ぎたきらいもあるが、私にとっての鉄は「新しい素材」として、いまも目の前にある。本展は、そんな私に改めて鉄と彫刻のこれからの関係を想像させてくれる機会となった。展示空間を徘徊し、佇んだ3時間。 展示作品は、台座の上にあったり、自立していたりと様々だ。自立している作品の、その接地する部分は立っている姿形とも言えるし、立たせる為の装置とも言える微妙な様相を呈している。人体彫刻では地山と呼ばれる、作品とも台座ともつかない機能がある2。それと同じと言えばそうなのだが、果たしてそう言い切れるのか。ドレスやズボンの裾だと言ってみたらどうか。立ち上がっているはずなのに垂れていて、影の様にズルズルと地面に接触する存在。これを、鉄という素材の条件——取り外しが容易であり、わずかな点によっても固定ができる——が彫刻家を導いた様相と言い換えてみよう。下から上に立ち上がる一方向からの自立とは違った彫刻の立ち方がそこにある。 主張の強い、完結させようと思えばできそうな形同士が、突然くっついて関係してしまう。これは、鉄の彫刻作品全般に抱く印象である。自然につながる形ではない。不意に訪れた事故から不可避的に導かれてしまう行きずりのサスペンス。更に近づいて見てみよう。形の結びに現れる溶接痕とグラインダーの磨き傷、そしてねじ。ここに、工夫が美的態度になる瞬間がある。無関係なものを結びつける為の物理的制約を、作品の視覚的な必然として確信犯的に馴染ませていくしたたかな技量3。ツギハギ、ボタン、ステッチといった衣服の作法と機知がここでも重なっていく。 会場風景 撮影:大谷一郎 多くは面による構成であり、薄いものの組み合わせでできている……様に見える。鉄板が薄そうで軽そうなことに起因するのだろう。だが、印象に騙されてはいけない。実際には明らかな厚みと重みがある。作品はこの鉄の印象と現実のズレを、作品の条件として引き受けることから組み立てられている。面的であり、開放的であるが、それ以上に板的である4。 単一の素材で制作された作品において、作者にこれだけの出会いと別れを繰り返させる素材を私は知らない。それは鉄が一口に鉄と言われながら、多様な姿と名前を持っているからに他ならない。そして、その姿に私たちはそれぞれの物語、記憶を重ねている5。彫刻家の仕事とは、その物語を裏切り、素材をこれまで関係のなかった別の物語に巻き込んでいくことだろう。彫刻は、その結果として私たちの眼前にある姿の呼称に過ぎない。 鉄という巷でお馴染みの物質——既製品と言っても差し支えはあるまい——の持つ魅力とは、馴染みがありそうで見慣れない、軽そうで重く、硬いが柔らかい、姿形を変えて私たちの生活に近づいている、そのわかりづらさではないだろうか。鉄は、まだまだわかりづらい既製品として私たちの目の前にある。鉄彫刻というイメージを作る側と見る側で決め込まない限り、鉄は芸術の素材としての新しいルールを私たちに差し出す、かもしれない6。 註 1993–99年 そのことも含めて作品であろう。 土谷武《開放Ⅰ》上下の四角をつなぐ部分とその前方の板の厚みの違いに注目。 デイヴィッド・スミス《サークルⅣ》と若林奮《北方金属》に敷かれている板(サインが刻印されている)の厚み。 H形鋼=ビルの建設現場(テレビのサスペンスドラマ。鉄材が落下する一幕)。I形鋼=何となく、線路のレールを思い出す(小さな恋のメロディ、スタンド・バイ・ミー……古いなぁ)。鋼板=工事現場の床面(雨の時など特に)。丸鋼管(パイプ)=TV、映画のケンカシーンで凶器といえばこれ。etc……。 本稿では個別の作品に対する記述を意図的に避けた。それは、本展の内容は鉄による彫刻のこれまでの可能性と限界を同時に示しており、その意義を考えた際、各作品に固有の内容を記すことが憚られたからである。本稿で記した彫刻の内容は、出品作がそれぞれに保持しているものと筆者は捉えている。また、本稿では色彩についての指摘も意図的に避けた。話せば長くなるのが理由である。一点だけ指摘すると、鉄には塗装や磨き以外に錆や黒皮という皮膜、焼けた際の色など、色彩に多くの選択肢がある。鉄の色彩のイメージは、我々の生活に馴染み、網膜に定着している。彫刻家はこのことも視野に入れて色彩との関わりを模索している、はずだ。 『現代の眼』636号
冨井大裕《board band board #2》2014年
冨井大裕(1973 –)/《board band board #2》/2014年/アクリル板、ポリプロピレンバンド/40.0×40.0×42.0cm/令和2年度購入/撮影:大谷一郎 厚さ3cmのアクリル板が14枚積み重なっています。一番上と下をのぞいた12枚の板には、赤+青、黄+緑と2パターンの帯が交互に巻かれています。これは段ボールの梱包などに用いられるポリプロピレンバンド(PPバンド)です。 同一の矩形の積み重ねという手法や形体は、少し戦後美術をかじった人には、1960年代に生じたミニマル・アートと呼ばれる動向を想起させるでしょう。けれど、物質感の希薄な透明素材、バンドの幾分チープな色味、そして見る角度によってアクリル板に挟まれたバンドの一部が消えるトリッキーでイリュージョニスティックなしかけは、小難しい歴史的なしがらみなど、どこ吹く風とでもいうように軽やかでもあります。 冨井大裕は、既製品を使った立体作品でよく知られる作家です。用いる既製品は画鋲、スーパーボール、クリップ、鉛筆、ハンマーなど、実にさまざま。冨井は自身の制作について以下のような説明をしています。 「ものをそのままでありながら異なるものとして立ち上げるためには、どのような構造を選べばよいか。ものが与える条件(サイズ、素材、重さ、形、ものが常識的にまとっているイメージなど)から構造は選択される。選ばれた構造は、自身に最適なものの新しい使用法を見つけ出す。新しい使用法は、そのものとその構造のため以外には採用されない。そして、採用されたその時から、使用法は使用法ではない、ものの新たな条件となる。条件とは不自由であり、可能性である。不自由からしか自由は得ることが出来ない」 (冨井大裕ウェブサイト、ステイトメント「作ることの理由」より)1 どうやら「もの」が持つそもそもの条件と、新たに付与される条件、二つの条件に冨井の関心は向けられているようです。アクリル板にピシッと均一に巻かれたバンドは、この作品の色彩や構造を担う「新たな条件」となっているわけですが、一方で、巻いて使うものという「既存の条件」から外れないことで、梱包資材という用途を見る者にイメージさせ続けます。冨井の手続きによって生じるこの二つの条件の類似と差異、ここに作品の魅力や鑑賞の面白味の一端があるように思われます。 ところで、冨井は2011年以来、日々の生活の中で見出した彫刻的なもの、風景、状況などのスナップをSNSで発信する「今日の彫刻」という試みを継続しています2。ものとものとの取り合わせの妙、偶然のコンポジション、ものに対して為された匿名のアクション、意図せぬユーモアなど、どの写真からも冨井の関心の所在がよく感じられます。カジュアルなプレゼンテーション方法だからと侮ることなかれ。冨井が制作においてどのように「既成の条件」から「新しい条件」への道筋を描いているのか、これらの写真にはその重要なヒントが見え隠れしています。ぜひご覧になってみてください。 註 http://tomiimotohiro.com/statementj.html https://twitter.com/mtomii 『現代の眼』636号
ネコロジカル・シティ
隈研吾氏の個展である。大勢の人で賑わいそうな企画と会場だが、COVID-19感染対策のために入場が事前予約による定員制となっており、余裕のある会場空間でゆっくり見回ることができた。 展示は2つの会場に分かれている。第1会場には氏が手掛けた「公共性の高い」70件近くの建築プロジェクトが選ばれ、模型や映像など様々な方法で展示されている。それぞれのプロジェクトは「孔」「粒子」「やわらかい」「斜め」「時間」という、通常は建築の要素とは考えられていないだろう言葉が「新しい公共性をつくるための5原則」として掲げられ、これらに沿って会場が構成されている。これだけの数のプロジェクトが世界中に散在していることにまずは圧倒される。きっと「隈研吾氏の時代」として記憶されるようになるだろう。 図1 第1会場 会場風景|撮影:木奥惠三 私が特に楽しんだのは第2会場だった。こちらは「東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則」というタイトルが掲げられている。東京計画といいつつ展示内容は計画案ではなく、CGアニメーションやプロジェクションマッピングを用いて、ネコの視点から街を見直してみるというものだ。これが、街の隙間にいるネコの様子を巧みに捉えていて、じつによくできている。挙げられている「5656原則」は「テンテン」「ザラザラ」「シゲミ」「シルシ」「スキマ」「ミチ」というものだ。それぞれの「原則」について、猫の視点から映し出された街の様子が並んでいる。「テンテン」はネコに取り付けたGPS受信機の軌跡のマッピングである。「スキマ」はプロジェクションマッピングを使って再現されている、建物の裏を上り下りするネコの様子である。体の影や足あとだけで描かれた、飛び降りたり歩いたりするネコの動きはまるで本物のようで、ネコ好きの人なら声を上げるだろう。「ザラザラ」は、ツルツルな既存のコンクリート壁と、ザラザラの仕上げが施されてネコが上り下りできるようになった壁とが対比的に描かれているCG動画である。ネコに手がかり(というか足がかり)を与えるものとして木製ルーバーが使われていてちょっと笑ってしまったのだが、なるほど、隈建築はネコ・フレンドリーな表層をしているのだった。第1会場の建築模型には所々に添景としてネコが置かれていたのだが、その伏線がこのように第2会場で回収されるわけである。 図2 第2会場 《東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則》より「ザラザラ」 一度でも飼ったことがある人なら知っていることだが、ネコはじつに、私たちヒトの思惑から自立した生き物である。しつけや訓練でネコをヒトの生活に合わせることはできない。トイレも寝場所も、ヒトがネコに合わせて環境を整える必要がある。ネコは呼んでも来ないが、望むときはこちらの仕事を邪魔して注意を引こうとする。ネコと暮らすことはネコの生き方にヒトの生活や環境を合わせて調整していくことである。ネコとヒトの関わりは古く紀元前8000年頃まで遡るが、ネコはヒトに捕まって家畜化されたのではなく、ネコ自らがヒトと共生することを選んだらしい。野生のヤマネコとイエネコの遺伝子にはほとんど違いがないことが知られている。ネコは1万年にわたって、あくまでもネコの勝手でヒトのそばに暮らしているのである。 図3 我が家の好ましい他者|撮影:石川初 つまり、ネコは身近な他者である。ネコの振る舞いを通して眺める街の風景が私たちの見慣れた都市風景を揺さぶるのはそのためだ。だから、ネコにいいことはヒトに快適なことばかりではない。細い木製ルーバーで覆ったコンクリートには土埃が溜まり草が生え、虫も湧くような湿った壁になるだろう。それは私たちが街から排除してきたものであるし、今後も排除し続けるだろう。そして、建築はたとえネコ・フレンドリーな様子を帯びたとしても、その排除の役割を負い続けるだろう。 しかし、ネコの始末に負えない点は、見た目が可愛いということである。私たちはなぜか、ネコを愛しむ感性をもっている。私たちのネコへの接し方は、住居に勝手に住みついている他の生物、たとえばゴキブリなどへのそれとはずいぶん違う。ネコはままならない他者でありつつ、憎めない好ましい存在である。この点において、街を見直す補助線としてネコを選ぶのはなかなか巧妙である。ままならなさと好ましさを併せもつものとして、建築物に載せられる「植物」にも似ている。と、ネコを飼いながら園芸も嗜む私は思ってしまうのだ。 ともあれ、「他者の目で見る」のは街歩きの基本である。ぜひ、ネコロジカルな目を得に出向いてほしい。1点、残念だったのは第2会場を見終えたあと、再び第1会場に入ることができなかったことである。感染対策のためということで仕方がなかったのだが、第2会場で獲得した「ネコ目線」をもってもう一度建築プロジェクトを眺め、登りやすそうなファサードだニャ。などと呟いてみたかった。[編集部註] 編集部註こうしたご指摘を受け、隈研吾展では、第1会場と第2会場との行き来ができるよう、館内の対応を改めました。ただし、会場が混雑している場合には、お待ちいただくことがございます。 『現代の眼』636号
