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特別陳列 アメリカ現代美術
米国情報局の委嘱により、シアトル美術館の所蔵する8名のアメリカの現代作家の絵画と彫刻作品を展観した。このうちマーク・トビー以下4名は、シアトルを拠点とするアメリカ北西派といわれる画家たちで、彼らは東洋思想の影響を受けて、自然の中に神秘的な力を感じ、大自然の中から自己を生かす力を見出そうとしているところに共通点がある。さらに、1階ロビーではニューヨーク近代美術館の刊行図書97冊を展示した。 開催概要 40点 ガイ・アンダーソン ライス・カパーン ケネス・キャラハン モリス・グレーヴス マーク・トビー ダヴィッド・ヘア エジオ・マルティネリ セイモア・リプトン / 8人
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墨の芸術:中国と日本の絵画
東洋における独特の芸術分野を占める水墨画の展開を、中国の宋、元、明、清の時代の作例40点と、日本の室町、桃山、江戸時代の水墨画の名品27点を鑑賞本位に展示した。あわせて日本の近代において、その伝統的な系譜が西洋画法の写実的なやり方を加えながらどのように新しく展開していったかを、日本の明治以降の作例34点を加えて示そうとしたものである。出品点数を絞り、落ち着いた雰囲気を作ることが考慮された。 開催概要 東京国立近代美術館 1957年4月5日‒5月5日(27日間) 8,293人(1日平均307人) 26.2×18.5cm(40)p 101点 91人
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20世紀のデザイン展:ヨーロッパとアメリカ
本展で紹介された作品は、ニューヨーク近代美術館が長年にわたって収集した世界でも定評のあるもので、同館から作品提供を受けた展覧会である。また当館が行う最初の本格的なデザイン展であり、生活に直結するものとして多大な反響を呼んだ。清家清による陳列は、作品の近代性を伝えると同時に、静かな落ち着きのある構成となった。また、特別鑑賞日を設け専門講師の解説を行い、愛好家や研究者の注目を集め好評を博した。 開催概要 東京国立近代美術館 1957年2月20日‒3月1日(35日間) 36,787人(1日平均1,051人) 朝日新聞社 18.2×25.6cm(85)p. 299点 129人
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日本の風刺絵画
平安時代の《鳥獣人物戯画巻》から江戸の北斎、国芳の戯画、そして明治の『ジャパン・パンチ』、『東京パック』から、大正、昭和の戦後期に及ぶ風刺雑誌、漫画原画、油絵など、さまざまな形態の資料が収集展示された。内容的にも報道記録的なもの、社会的色彩の濃いものもあり、いわゆる一般的な絵画作品の鑑賞のような展示にとどまらず、資料的な陳列や拡大写真のパネル展示もまじえ、通常とは多分に違った印象の展覧会となった。 開催概要 東京国立近代美術館 1956年11月2日‒12月2日(27日間) 6,897人(1日平均255人) 30.2×21.0cm(1枚)(出品目録として『現代の眼』24(1956年11月)に掲載) 236点 91人
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現代の眼:アジアの美術史から
好評だった第1回目の「現代の眼」に次いで今度はアジア、主として中国、インド、東南アジア等の諸地域の古美術を集めた。当館がアジアにおける唯一の近代美術館として、欧米の近代美術館とは異なった独自の立場から、彫刻・絵画・工芸など数々の名品を再認識し、新しい美を提唱しながら、将来に対する一つの示唆を与えようとしたものである。展示は前回よりも暗さをさけて平明にし、なるべく作品それ自体の美しさを見せるという方法をとった。 開催概要 東京国立近代美術館 1955年12月1日‒1956年2月12日(57日間) 21,353人(1日平均375人) 26.0×18.4cm(33)p 164点 因陀羅 王鑑 華嵒 貫休(禅月) 徽宗皇帝 許道寧 玉澗子庭 石恪 石涛 詹景鳳 漸江 宋汝志 趙之謙 趙子昻 趙子俊 張瑞図 鄭燮 董其昌 馬麟 八大山人 文伯仁 牧谿 蘿窓 李安忠 梁楷/26人
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四人の作家:下村観山 靉光 荻原守衛 橋本平八
物故作家の見直しを図るシリーズの3回目として、今回は部門の枠を広げて彫塑を加えた。日本画から日本美術院創立者の一人、下村観山(1873‒1930)、洋画からシュルレアリスムの影響を受けつつ独自の幻想的な作品を描いた靉光(1907‒46)、そして彫塑からはロダンに師事して明治の彫塑の近代化を大きく進めた荻原守衛(1879‒1910)と、木彫において独自の精神的な表現を確立した橋本平八(1897‒1935)を取り上げた。 開催概要 東京国立近代美術館 1955年10月14日‒11月23日(35日間) 8,226人(1日平均235人) 26.0×18.4cm(33)p 82点 靉光 荻原守衛 下村観山 橋本平八/4人
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グロピウスとバウハウス
建築家でバウハウスの初代校長ヴァルター・グロピウスの来日を機会に、日本建築学会の後援を得て開催された本展は、本館において建築や工芸を取り上げる最初の企画となった。写真、建築模型、工芸品を主体とする展示構成で、ディスプレイの斬新さが展覧会の効果を支配するよい例証となった。また本展会期中には、グロピウス本人の講演会も開催された。 開催概要 東京国立近代美術館 1954年6月12日‒7月4日(20日間) 16,598人(1日平均830人) 25.8×12.4cm(3つ折り、折りたたみ時) 53点 産業工芸試験所 水谷武彦 武蔵工業大学 ジョゼフ・アルバース ユンペル・ヴァーゲンフェルト ワシリー・カンディンスキー パウル・クレー ヘルマン・グレタッハ ヴァルター・グロピウス A.D.コピア バウハウス バウハウス織物工場 バウハウス金属工場 バウハウス指定ハルニッシュ工場 バウハウス木工々場 マリアンネ・ブラント マルセル・ブロイヤー ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ エリック・ミューラー ゲオルグ・ムッヘ/20人
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4人の画家:佐伯祐三 前田寛治 村上華岳 広島晃甫
シリーズ展の第2回目となる本展では、日本画家・洋画家2人ずつを取り上げ展観した。洋画では、佐伯(1898‒1928)のパリ風景にみられるフォーヴィスム、前田(1896‒1930)の描く人物に表れたレアリスムが、日本画では、華岳(1888‒1939)の深みのある瞑想的な山々、晃甫(新太郎)(1889‒1951)の装飾性に富む甘美な画面が、大正から昭和前期に続く近代日本絵画史上の諸問題に、それぞれ独自の表現からアプローチしているのがわかる。 開催概要 東京国立近代美術館 1954年10月1日‒11月7日(33日間) 12,271人(1日平均372人) 25.9×18.2cm(20)p 120点 佐伯祐三 広島晃甫(新太郎) 前田寛治 村上華岳/4人
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国吉康雄遺作展
永くアメリカにあって活躍し、特に哀歓にあふれた生活描写に人気を集め、生前ホイットニー美術館で回顧展を開くなどめざましい業績をあげた国吉康雄(1889‒1953)。本展はもともと画家の生前から毎日新聞社とともに企画が進められていたが、惜しくも遺作展となった。未亡人サラ・マゾ女史の協力を得て、42点の代表的な油彩に素描22点と版画12点を加え、その画業を回顧した。なお、この展覧会は新聞社との最初の共催展である。 開催概要 東京国立近代美術館 1954年3月20日‒4月25日(32日間) 25,847人(1日平均808人) 毎日新聞社 21×15.2cm(1),17,(20),7p 76点
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第27回ヴェニス・ビエンナーレ国際美術展:出品作品国内展示
日本はヴェネツィア・ビエンナーレに1952年の第26回展から公式参加したが、その際には画壇の大家を中心に総花的に作家が選ばれたため国際的反響を得ることができなかった。2度目の参加となる第27回展では土方定一が代表となり、出品作家は画壇の長老である坂本繁二郎と、前衛の先端をゆく岡本太郎の2名に絞り込まれた。ビエンナーレに先立ち、国際文化振興会と共催で出品作を含む各作家十数点を陳列し、国内の観衆に披露した。 開催概要 東京国立近代美術館 1954年3月12日‒3月16日(5日間) 3,921人(1日平均784人) 国際文化振興会 28点 岡本太郎 坂本繁二郎/2人
