コレクション紹介

コレクション紹介


 東京国立近代美術館本館では19世紀末から今日まで、約130年間の日本と海外の美術作品を収集しています。現在、日本画、洋画、版画、水彩・素描、彫刻(立体造形)、写真、映像などの多分野にわたって13,000点を超える作品を収蔵しています。近年は、日本の美術に大きな影響を与えた主要な海外作家の作品収集にも力を入れています。

新しいコレクション

こちらでは、近年収蔵された新しいコレクションをご紹介していきます。

(※画像をクリックすると拡大画像をご覧いただけます。)

冨井大裕《board band board #2》2014年 TOMII, Motohiro, board band board #2, 2014

冨井大裕(1973– )
《board band board #2》
2014年
アクリル板、ポリプロピレンバンド
40.0×40.0×42.0cm
令和2年度購入
撮影:大谷一郎

 

 厚さ3cmのアクリル板が14枚積み重なっています。一番上と下をのぞいた12枚の板には、赤+青、黄+緑と2パターンの帯が交互に巻かれています。これは段ボールの梱包などに用いられるポリプロピレンバンド(PPバンド)です。
 同一の矩形の積み重ねという手法や形体は、少し戦後美術をかじった人には、1960年代に生じたミニマル・アートと呼ばれる動向を想起させるでしょう。けれど、物質感の希薄な透明素材、バンドの幾分チープな色味、そして見る角度によってアクリル板に挟まれたバンドの一部が消えるトリッキーでイリュージョニスティックなしかけは、小難しい歴史的なしがらみなど、どこ吹く風とでもいうように軽やかでもあります。
 冨井大裕は、既製品を使った立体作品でよく知られる作家です。用いる既製品は画鋲、スーパーボール、クリップ、鉛筆、ハンマーなど、実にさまざま。冨井は自身の制作について以下のような説明をしています。

「ものをそのままでありながら異なるものとして立ち上げるためには、どのような構造を選べばよいか。ものが与える条件(サイズ、素材、重さ、形、ものが常識的にまとっているイメージなど)から構造は選択される。選ばれた構造は、自身に最適なものの新しい使用法を見つけ出す。新しい使用法は、そのものとその構造のため以外には採用されない。そして、採用されたその時から、使用法は使用法ではない、ものの新たな条件となる。条件とは不自由であり、可能性である。不自由からしか自由は得ることが出来ない」(冨井大裕ウェブサイト、ステイトメント「作ることの理由」より)[1]

どうやら「もの」が持つそもそもの条件と、新たに付与される条件、二つの条件に冨井の関心は向けられているようです。アクリル板にピシッと均一に巻かれたバンドは、この作品の色彩や構造を担う「新たな条件」となっているわけですが、一方で、巻いて使うものという「既存の条件」から外れないことで、梱包資材という用途を見る者にイメージさせ続けます。冨井の手続きによって生じるこの二つの条件の類似と差異、ここに作品の魅力や鑑賞の面白味の一端があるように思われます。
 ところで、冨井は2011年以来、日々の生活の中で見出した彫刻的なもの、風景、状況などのスナップをSNSで発信する「今日の彫刻」という試みを継続しています[2]。ものとものとの取り合わせの妙、偶然のコンポジション、ものに対して為された匿名のアクション、意図せぬユーモアなど、どの写真からも冨井の関心の所在がよく感じられます。カジュアルなプレゼンテーション方法だからと侮ることなかれ。冨井が制作においてどのように「既成の条件」から「新しい条件」への道筋を描いているのか、これらの写真にはその重要なヒントが見え隠れしています。ぜひご覧になってみてください。

(美術課主任研究員 三輪健仁/『現代の眼』636号))

 

[註]

1 http://tomiimotohiro.com/statementj.html

2 https://twitter.com/mtomii

 

 

畠山直哉《「Untitled (tsunami trees)」より2019年10月6日 岩手県陸前高田市》2019年 HATAKEYAMA, Naoya, Rikuzentakata-shi, Iwate on October 6, 2019 from Untitled (tsunami tree) , 2019

畠山直哉《「Untitled (tsunami trees)」より2019年10月6日 岩手県陸前高田市》(2019年)
畠山直哉(1958–)
発色現像方式印画
108.0×126.6cm
令和2年度購入

 画面の中央に立つ一本の木は、半分が枯死し、半分は葉を茂らせています。どうしてこのようになっているのか。表題にある日付と地名、そして「tsunami trees」という言葉は、それが東日本大震災の際の津波によるものであることを示唆しています。
「Untitled(tsunami trees)」の連作は、この陸前高田の木と同様に、津波に見舞われた樹木を被災地各地で撮影したものです。2020年の初頭に国立新美術館で開催された「DOMANI・明日 2020 傷ついた風景の向こうに」展で発表され、そこから3点を当館の新しいコレクションとして収蔵しました。
 作者である畠山直哉は、初期、石灰鉱山をめぐる連作や、その産物であるコンクリートで形作られた都市のあり方を主題とする作品で注目された写真家です。その後も自然と人間の関わりをさまざまな視点から考察する仕事にとりくみ、その理知的な姿勢と写真作品としての審美的な完成度とを両立させた作品は、国内外で高く評価されてきました。
 震災はその活動に転機をもたらしました。陸前高田出身の畠山は、このとき津波で母親を亡くし、実家を流されるという経験をします。以降、畠山は陸前高田に通い、震災後の風景を撮影し続けてきました。それらの写真はいくつかの展覧会や写真集などで発表されますが、そこには、震災前の故郷での私的なスナップ写真のような、以前は発表されることのなかった写真も含まれていました。写真を撮ることを通じてこの世界のあり方を探究してきた写真家としての活動の基盤が深いところでゆらぎ、そのゆらいでいること自体を、また考察の対象としている。活動の変化には、そうした事態が反映されていたように思います。
 「Untitled(tsunami trees)」の連作は、そのような時期を経て、2017年に、ここに紹介している作品に写されている一本のオニグルミの木に出会ったことから着手されました。「昨日までの時間と、生きている「いま」の時間が、同時に2つ見える」[1]と、この木について畠山は記しています。
 当館では震災をめぐる作品を継続的に収集しています。震災が私たちの社会にとってどのようなできごとであったのか、その経験の深層にあるものを、作品を通じて考え、次代に受け継いでいくことが、美術館の果たすべき役割だと考えているからです。震災後10年という時間の経過の中で、その経験と記憶にどのように向き合い、伝えていくかがあらためて問われている今日、この「tsunami trees」の連作は多くのことを示唆する作品だと考えます。

(美術課主任研究員 増田玲 /『現代の眼』636号)

[註]

1 畠山直哉「気仙川のオニグルミ」、『日本経済新聞』2020年3月8日 >

吉田克朗《触“体—47”》1989年 YOSHIDA, Katsuro, Touch “Body-47” , 1989

吉田克朗(1943–1999)
《触“体—47”》
1989年
黒鉛粉、油彩・キャンバス
145.0×112.0cm
平成30年度購入

 

 吉田克朗(1943–1999)は、木材や鉄、電球といったシンプルな素材に最低限の手を加えて制作した多様な作品を展開し、1960年代後半から1970年代前半に現れた「もの派」の中心人物として頭角を現しました。1970年代からは写真を製版した版画作品を発表。「第1回ソウル国際版画ビエンナーレ」(1970、徳寿宮現代美術館)で大賞を受賞します。さらに1980年代からは、絵画の分野へも乗り出します。その代表作が《触》のシリーズ。《触“体—47”》は、そのうちの1点です。
 明るい黄土色に地塗りされたキャンバスに、黒い点や線のようなものがうごめいています。材料は黒鉛の粉。それが、筆ではなく指で画面に塗りこめられているのです。タイトルの通り、画面を「触って」描いているわけです。一見すると真っ黒な箇所も、近づいて目を凝らすと無数の指跡が重なり合っていることが分かります。
 もう少し、「触」の意味を考えてみましょう。「もの派」の中核として活動していた時期の吉田は、木材や鉄、電球などの既製品をそのままの姿で組み合わせることで、「手わざ」を隠したと言えます。1970年代の版画も同様です。版画といえば、木を彫るなど作家の手で描画したものを版とする方法が最も一般に知られていますが、写真を版とすることで、彫る、描くといった「手わざ」を極力覆い隠すことができます。
 作家の後半生に編み出された《触》のシリーズは、そういった手法をひっくり返すものでした。キャンバスに接近して、黒鉛をつけた指を何度もキャンバスに押し付け、こする。これは、これまでの作家のスタイルと全く異なる新境地であったと言えるでしょう。また、初期に立体、中期に版画、後期に絵画と、全く異なるジャンルに移り、それぞれにおいて存在感を示した吉田は、戦後日本美術においても特筆すべき存在と言えます。
 改めて、作品に戻ります。《触》のシリーズは、様々な形のキャンバスにそれぞれ異なる空間が表現されます。大きいものでは幅2メートル以上。《触“体—47”》は、比較的小ぶりな作品です。キャンバス地が見え隠れしつつ、画面を走る黒鉛の航跡は、不気味な雰囲気を醸し出します。この作品では大小いくつかの塊が現れています。全体として見ると、それは掲げた手のようにも見えます。あるいは身体の断片、はたまた渓谷のようにさえ見えるかもしれません。このような在り方は、黒鉛という黒く柔らかい素材「のみ」で表現されたことによるものと言えます。その表現の豊かさは、なぜ今なお「絵画」を描かねばならないのかという問いへのひとつの答えを示してくれるでしょう。

(美術課研究員 古舘遼/『現代の眼』635号)

速水御舟《寒牡丹写生図巻》1926年 HAYAMI, Gyoshu, Scroll of Sketches (Winter Peonies), 1926

速水御舟(1894–1935)
《寒牡丹写生図巻》
1926(大正15)年
鉛筆、淡彩・紙 画巻
31.4×377.4cm(表具を入れると33.3×496.4cm)
令和元年度購入
(画像上・全図、下・部分)

 長く当館に寄託されていた作品を収蔵することができました。速水御舟が1926(大正15)年に描いたスケッチを、画巻に仕立てた《寒牡丹写生図巻》(以下、近美本)です。制作年がわかるのは、巻頭に御舟の自筆で「牡丹 大正十五年二月寫」と制作年月が書き込まれているから。全長は377.4cmで、長さがまちまちな紙を4枚継いでこの長さになっています。
 ところで、御舟の牡丹の写生画巻はもう1点あることが知られています。山種美術館が所蔵する《牡丹(写生画巻)》(全長309.5cm)です。こちらには年記はありませんが、細く削った鉛筆で精密にかたちをとり、ピンク色(おそらく臙脂えんじを使っていると思われます)をぼかした彩色の手法が共通することから、近美本と同じ時期に描かれた一連のスケッチであるとみなされています。
 さらにもう1点、本作と関連する作品に、遠山記念館が所蔵する《牡丹》(絹本彩色、1926年)があります。同じ年の9月に描かれたこの作品には、どうやら近美本の右から8番目の牡丹のかたちがそのまま採用されたと言えそうです。この《牡丹》ですが、みなさんにはぜひ実物を、できれば単眼鏡を使って見てほしい。見ると、花びらの縁に塗られた胡粉(白い絵具)が、ホットミルクの表面に張った膜のように薄くて均質だったり、その上から白やピンク色のきわめて細い線で花びらを覆うように脈が引かれていたり、そんな極上の絵肌にウットリすること請け合いです。
 さて、本画があるからには、写生はそのための準備とみなすこともできるでしょう。実際に御舟は近美本でいくつかの表現方法を試していて、それらは本画に採用された表現と、採用されなかった表現とに分けることができます。採用された表現のひとつが、輪郭からはみ出すように暈した色の塗り方です。輪郭線を越えて周囲を染めたピンク色は、あたかも花から発せられる芳香のようにも感じられるでしょう。この効果を御舟が見逃すはずはなかったというわけです。御舟は本画で、近美本に比べると控えめながら、花の周囲にピンク色を、そして葉の周囲にも緑色を、淡く暈すことになりました。
 では採用されなかった表現にはどんなものがあったか。それはたとえば、輪郭線を強調したり、鉛筆で陰をつけたりといった、右から4番目から7番目の花で試されているような表現です。もしや、写生の段階では、輪郭線を墨で描き起こすような表現や、水墨淡彩風に陰をつけた表現も、御舟の選択肢にあったのか? などと想像することもできるこの写生図には、完成された本画を見るのとはまた違った見応えがあるのです。

(美術課主任研究員 鶴見香織/『現代の眼』635号)

 

杉戸洋《the secret tower》1998年 SUGITO, Hiroshi, the secret tower , 1998

杉戸洋(1970–)
《the secret tower》
1998年 ©Hiroshi Sugito
アクリリック、顔料・紙
176.0×230.0cm
平成30年度購入

杉戸洋《the secret tower》1998年 ©Hiroshi Sugito(部分)

杉戸洋《the secret tower》1998年 ©Hiroshi Sugito(部分)

 

 緑色の草原に立つ一本の樹。太い幹の上方から枝が分かれて出ているという樹形から思い出されるのはバオバブでしょう。この推測が正しいかどうか確認しようとタイトルを見れば、そこには「the secret tower」とあるだけ。日本語表記でもなぜか英語で書かれていて、しかも、主流のルールでは本来「The Secret Tower」と表記すべきところそうなってはいない。作者の杉戸洋はその理由についてこう語っています。
 

「タイトルを小文字にしている訳は(若い頃の変な屁理屈で)文章の途中をもぎ取っている感覚とタイトルをあまり強調したくないというところです。この頃の絵はなんとなくカーテンをつけたりと並べ順を変えても紙芝居的に内容が繋がったり変わったりするような制作でした。」(2020年9月2日 杉戸洋から筆者宛のEメール)

 「secret」を日本語に訳せば「秘密の/機密の/隠れた」など結構多義的です。「tower」は「塔」でしょう。確かに樹幹の上の方には窓が小さく描かれています。つまり、この樹には内部空間があり、そこには(おそらく)人がいる。そして、この樹=塔は相当大きい。
 そんな樹=塔に対して、小さな戦闘機が向かっています。攻撃をしようとしているのでしょうが、大きさから判断するに致命的なダメージを樹=塔に与えるのは難しいのは明かです。無謀なことはわかっているけれども、しかしやらなければならない攻撃……相手は、世界の果てにも見える草原の中で、知らず知らずのうちに巨大に育ってしまった樹=塔。
 ここまできたとき、再びバオバブのことが思い出されます。主にサバンナ地帯に育つその樹の名前がここ日本でも知られているのは、『星の王子さま』に登場するからです。小さな星をその根で覆ってしまった三本のバオバブの樹。バオバブは、芽が出てきたことに気づいたらすぐに(見えない)根ごとひっこぬかないと、やがて大地を覆い尽くしてしまうのです。サン=テグジュペリの物語の中で、それは繁殖力の強い悪の象徴として登場していました。
 杉戸曰く、この絵を描いた当時バオバブのことは知っていて、しかもアフリカのバオバブは離れたところにあるバオバブと「交信」しているという話を読んだことがあったとも言っていました(2020年9月30日 杉戸洋と筆者との電話)。
 ただ、大事なのは、ここに描かれている樹がバオバブかどうかを確認することではありません(無粋なのでそこは確認しませんでした)。そうではなく、クリントン政権期の「砂漠の狐作戦」が行われた年に描かれたこの絵が、「今ここ」の文脈において見たときにまた別の解釈を促してくれることであり、それこそがアートの力だと再確認することです。

(美術課主任研究員 保坂健二朗/現代の眼635号)

 

浅見貴子《梅に楓図》2009年 AZAMI, Takako, Plum and Maple Trees, 2009

浅見貴子(1964-)
《梅に楓図》
2009年
墨、顔料、紙
高さ265.0、幅200.0
平成30年度購入

 浅見貴子の《梅に楓図》は、平成30(2018)年度の新収蔵作品です。浅見は2018年「第7回東山魁夷記念 日経日本画大賞展」で大賞を受賞するなど、新しい日本画の可能性を切り拓いた画家として注目されてきました。

 多摩美術大学在学中ににじみ止めのドーサ引きで失敗した1988年の経験を機に、様々な試行の末、1990年代末に紙の裏側から描き、点々が効いた画風にたどりついた浅見。墨は普通に表側から重ねると鈍い墨色になるのに対し、裏から描くと重なった部分からおもてに新鮮な墨色だけが出るので、活き活きとした印象になると作家はいいます。裏から描くと最初に描いたところが表面に真っ先ににじみ出てくるため、近距離の印象の強いものから先に描くことになります。筆をスライドしつつ止めて墨をおもてに染み出させて打たれた点描に、複雑に筆線が交差して折り重なり、空気や光や葉のざわめきなども含みながら、空間の拡がりや積層的な奥行きを感じさせるその画面は、直接的な樹木の再現をはるかに超えつつも、写生時の印象もはらみ続けています。描き直しも効かず、墨の濃淡やにじみを巧みにコントロールする力量も必要ですが、作家本人ですら、完全におもてにどう現れるかは予測できないといい、逆にそうした偶然性や意外性が生む大胆な表現の展開も作品の魅力になっています。

 《梅に楓図》は1年間のアメリカ留学から帰国後、天井高と奥行きのあるアトリエに戻り、縦構図が描きたくなった浅見が、自宅の庭の梅の老木と新芽の出始めたばかりの低い楓の木を描いた作品。陽光を浴びながら、梅の木と手前の楓の枝が複雑に交差し合い、光が錯綜するさまが描かれ、横方向に筆をスライドさせながら打った白く丸い点々が特徴的な作品です。作家の光や白への意識も強く感じられるこの作品の技法面について、作家はこう説明しています。「白抜き部分は墨点や墨の黒い枝と同じく裏側から、樹脂膠で溶いた胡粉とアクリル系のドーサ液を混ぜたモノで描いています。ドーサ液だけでも良いのですが、ドーサだけだと乾くと透明になってしまうので、少し胡粉を入れています。作品を描き終えると(地の部分と白抜きの線の差が無くなるようにするためと、墨色がよりはっきりするように思うので)画面の裏側全体に胡粉を塗っています」。

 点と筆線の絡み合いの粗密が生動感を生み、内に凝縮する力と外へと拡散する力をあわせもつ、《梅に楓図》のエネルギッシュな画面は、空気や光や枝のざわめきを活き活きと表現し、まさに水墨画の新しい可能性を感じさせるにふさわしい作品といえましょう。

(美術課主任研究員 都築千重子/『現代の眼』635号)

丸木俊(赤松俊子)《解放され行く人間性》1947年 MARUKI, Toshi (AKAMATSU, Toshiko), Emancipation of Humanity, 1947

丸木俊(赤松俊子) (1912–2000)
《解放され行く人間性》
1947年
油彩・キャンバス
130.0 × 97.0 cm
平成30年度購入

 独特なタイトルは画面左下に赤の絵の具で書き込んであります。以前の展覧会では《裸婦(解放されゆく人間性)》という表記で紹介されていましたが、前所蔵者に聞けば「裸婦」の語は管理のためにつけていたとの由。そこで当館への収蔵に際し、タイトルは書き込みに従う形で改めました。
 タイトルの上には「1947. 5. 17. 俊.」という書き込みも見えます。本作の初出は、一九四七年五月二十三日から六月七日まで東京都美術館で開催された第一回前衛美術展でのこと。上野でこの絵を見た人にとって、サインだけでなくタイトルと詳細な日付を書き込んだ作家の気持ちを推測するのは容易だったでしょう。少し前に、まさに人間性が解放されたばかりだったからです。  そう、その年の五月三日、日本国憲法が施行されたのでした。国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義。明治憲法とは全く異なる理念に基づいて生きてゆけることに対する高揚感が、「解放され行く」という現在進行形の表現になったのではないでしょうか。そしてその感覚を見えるものにするために、俊は、人物像の視線を斜め上へと向けるだけでなく、その人物を裸とし、さらにはその身体を、花の中という、場所が限定できないという意味で抽象的な空間に置いたのでしょう。
 この絵の特長は、同じ展覧会に出品された俊のもうひとつの作品、《人民広場》(所在不明)と比べると明らかです。「人民広場」とはおそらく皇居前広場のこと。戦後数年間、その空間はメーデーなど様々な集会に用いられました。俊も、一九四六年五月十九日に行われたいわゆる食糧メーデーに参加したようですから、描かれているのがほとんど女性である《人民広場》は、その体験に基づいているのかもしれません。
 これと対蹠的になるように《解放され行く人間性》は描かれたのだとすれば、ここに描かれているのを単なる女性だと思ってはいけないということになります。実際、現実の裸婦なら大抵あるはずの陰毛が描かれていません。また乳房はありますが乳首の表現は不明瞭です。そうしたディテールよりも、肉体を量塊として捉えることに意識が注がれています。そして絵の具のタッチも独特で、特に左半身におけるそれは、塑像における石膏や粘土のようです。
 俊は、新しい憲法のもとに生きる人間の姿を描こうとして、理想的な身体を象(かたど)ることに長けた彫刻に範をとった。そしてそれを絵画ならではの抽象的な空間においた。表明したいことがあればこその表現です。
 一方、当時の美術雑誌を紐解くと、男性画家の描く裸婦は、後ろ向きであったり腰や足に布をかけていたり身をよじったりと堂々としていないものばかり。俊の作品がいかに清新であったかがよくわかります。

(美術課主任研究員 保坂健二朗/『現代の眼』634号)

アンソニー・カロ《ラップ》1969年 CARO, Anthony, Lap, 1969

アンソニー・カロ(1924–2013)
《ラップ》
1969年
スティール、彩色
高さ109.0、幅244.0、奥行108.0cm
平成30年度購入
© Barford Sculptures Ltd.
撮影:大谷一郎

 まず作品の構成要素を挙げてみます。スティールのパーツが五つ、溶接によって組み合わされています。板状のスティールを湾曲させたものが三つ、まっすぐのL字鋼、弧状に曲げられた溝形鋼です。すべて黄味がかった茶色に塗装されています。このように日常的、非芸術的な素材を「組み合わせ」て制作されたものは構成彫刻と呼ばれ、キュビスムや構成主義など二〇世紀初頭に始まります。アンソニー・カロの作品において、鉄板や鉄骨といった要素の集合は、彫像や塑像のように閉じた量塊を作ることはありません。複数の要素を配置し、それらを関係づけることで、無限定な現実空間から区別される「空間のフォルム」を生み出します。この特徴は「関係性」や「分節化」という語で批評されてきたもので、批評家マイケル・フリードは「カロの芸術において見るべきものは、すべてそのシンタックス(構文)の中にある」と述べています(Michael Fried, “Art and Objecthood,”in Artforum (New York) 5, no.10 (Summer/June 1967), p. 20)。

 では、ここで五つの要素をひとつの形として成立させているのは何でしょう。それは台座、カロの言葉で言えば「テーブル」です。カロは一九六六年に始まる、台の上に置かれた彫刻を「テーブル・ピース」と呼びました。彩色によってスティールの物質感は弱まり、さらに地面から物理的に離れることで、とても軽やかな印象が生まれています。また台に絡みつきながら縁をはみ出し、ぶら下がるような形態をとっています。「テーブルに腰掛ける彫刻」というカロの形容がぴたりと当てはまりますし、題名の「ラップ(lap)」に含まれる「ひざ(椅子に腰掛けた時の、腰から膝頭まで)」や「(衣服の)垂れ下がった部分」といった意味も呼び起こさせます。テーブル・ピースで重要なのは、テーブルの「水平面(の高さ)」と「縁」であるとカロは言います(『アンソニー・カロ展』カサハラ画廊、一九七九年、四頁)。この作品でも溝形鋼はテーブルの縁に引っかかり、天板の水平線とL字鋼の左下がりの直線とが呼応するなど、水平面と縁が重要な働きをしています。

 通常、台は彫刻の完成を待って後から用意されることがほとんどでしょう。台の上に置くことで、彫刻は外界から分離され、自立します。対してカロの作品では、まずテーブル(台)が存在し、彫刻はその周囲に、遅れて姿を現します。このようにしてカロは、彫刻を外界から分かつ制度・慣習としての台座でなく、作品成立のために不可欠な構造としてあるテーブルという、新たな方法・表現を生み出しました。

 (美術課主任研究員 三輪健仁 /『現代の眼』633号) 

横山大観《白衣観音》1908年 YOKOYAMA, Taikan,Kannon in White, 1908

横山大観(1868-1958)
《百衣観音》
1908年
献本彩色・軸装
140.3x113.0cm
平成30年度購入

 昨年開催した「生誕一五〇年 横山大観展」において新出作品として紹介した《白衣観音》がコレクションに加わりました。一九一二年に刊行された『大観画集』に掲載されて以降、所在不明だった作品です。一緒に伝わった軸箱の蓋裏にはいつ書かれたものか、「明治四十一年春日 大観自題」とあります。
 一九〇八年という制作年は作風に照らして妥当と考えられます。大観はこれより五年遡る一九〇三年に、盟友の菱田春草とともにインドに渡りました。滞在は半年に満たなかったのですが、それからというもの、大観は数年にわたって仏教画題の作品に「インド風」を盛り込んでいます。サリーのような衣裳にきらびやかな宝飾品や、弓なりの長い眉に大きく切れ長で二重まぶたの眼、鼻筋がとおって小鼻が張った鼻といった相貌などです。異国風な顔かたちに対するこだわりは、一九〇九年の《流燈》(茨城県近代美術館蔵)の時点ですでに薄れていますが、まだそれが色濃く残る《白衣観音》が《流燈》より一年半早いというのは辻褄が合います。
 疑念があるとしたら、この年にこんな大作を、一体誰が注文したのかという点です。日本美術院の移転に従って茨城県の五いづ浦らに移住してから一年余り、この春に大観はまだ同地に住んでいました。五浦の大観のもとに絵を買いに来る画商はほとんどいなかった。そう回想していたのは大観その人だったはずですが……。
 ここで注目したいのは、前述の『大観画集』に所有者として名前が載る森本六兵衛です。この人物は神戸で醸造業の傍ら倉庫業を営み、やがて仏教に帰依して家業を二代目に譲りました。別名は瑞明。大谷探検隊で知られる大谷光瑞こうずいから一字をもらったと言い、大正から昭和にかけて光瑞や大谷尊由そんゆの周辺でチラチラと名前が登場します。
 大観がインドに渡った理由のひとつは、日本美術の源流としてのインドで何かを掴み、仏教をテーマとする作品に新風を吹き込もうという野心だったことでしょう。同じ時期に仏教の源流を求めてインドに渡った大谷光瑞その人に心酔した森本瑞明。この人物なら、サリーを着た観音を大観に直接依頼しそうな気もしますが、現時点では未だ確実とは言えません。
 なお、記録に残る大観と瑞明の接点としては、一九一一年秋に京都市立絵画専門学校に進んだばかりの村上華岳を大観に紹介したこと、一九二五年から一九五七年までの大観への作画依頼を記録した「依頼画控」(横山大観記念館蔵)に、瑞明からの依頼が一件だけ記録されていることが挙げられます。興味は尽きません。

(美術課主任研究員 鶴見香織/『現代の眼』632号) 

デイヴィッド・スミス 《サークル IV 》1962年 SMITH, David, Circle IV, 1962

デイヴィッド・スミス(1906–1965)
《サークル IV》
1962年
鉄・彩色
高さ215.9、幅152.5、奥行107.0cm
平成29年度購入
撮影:大谷一郎

 彫刻家デイヴィッド・スミスが一九六二│ 六三年に全部で五点制作した「サークル」シリーズのひとつを、昨年度収蔵いたしました。
 スミスはアメリカ合衆国インディアナ州生まれ。いくつかの大学に通う傍ら自動車工場の生産ラインで短期労働をした経験を持ちます。一九二六年にはニューヨークに移り住みアート・スチューデンツ・リーグで学んでいます。鉄やステンレスを素材としつつ構築性や開放性を特徴とする彼の作品は、二〇世紀の彫刻を考える上で外すことのできないものとされています。
 スミスはシリーズで制作することでも知られているアーティストです(一方で、いわゆる鋳造をしないこともあったりして、彼の作品にはいわゆるエディションという概念は存在しません)。その中でもっともよく知られているのは、磨かれたステンレスを素材とする「キュービ(Cubi)」(一九六一│ 六五)でしょう。直方体や立方体や円柱を構成要素とするそのシリーズは、純粋性や抽象性を志向するモダニズムの擁護者たち=理論家たちから絶賛されました。
 そうした観点からすれば「サークル」は特異点となりますが、実際はそう単純ではありません。六〇年代のスミスには塗装した鉄板で構成された「ジグ(Zig)」というシリーズもあります(色彩はフラットで、往々にして単色です)。つまりスミス本人にとって色彩や平面を彫刻に取り入れることは、継続して重要な課題であったはずなのです。
 「サークル」のシリーズの特徴は、平面形の中でも完結的な形体である円を取り入れていること、そして複数の色彩をひとつの作品の中で用いていることにあるでしょう。中でも本作は、筆触が際立っている点、円形の内側に開口部がない点(I、II、III、Vには、大きさの違いはあれど円形の内側に円形の穴が開けられています)、多方向性が導入され動きをコントロールしようとしているのが明らかである点において、シリーズの中でも傑出しています。
 実は本作は、シリーズの中で最初期に制作されたと考えられています。スミスはシリーズにおけるナンバーを実際に制作された順序とは関係なく割り当てることがあり、本シリーズもその例に漏れないというわけです。ちなみにI、II、IIIは現在ワシントン・ナショナル・ギャラリーが、VはJPMorgan Chase Art Collection が所蔵しています。本作はスミス本人の手元に置かれていた後、エステートの所蔵となっていましたが、アジアの美術館ではスミスの実作を見る機会がほとんどないという点などに鑑みて、今回、当館が購入できることになった次第です。

 (美術課主任研究員 保坂健二朗/『現代の眼』629号)

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フォーカス

修復 岸田劉生作品の修復|MOMAT Focus

岸田劉生《田村直臣七十歳記念之像》(1927年)の修復現場に密着し、動画(5分42秒)を制作しました。

修復家の土師 広(はぜ ひろし)さんに今回の修復のポイントや修復する上で大切にしていることについて、お話しを伺いました。ぜひ、ご覧ください。

 

 

ソル・ルウィット| ウォール・ドローイング#769 2020年12月22日~公開(所蔵品ギャラリー3F|建物を思う部屋)

ソル・ルウィット《ウォール・ドローイング#769 黒い壁を覆う幅36インチ(90cm)のグリッド。角や辺から発する円弧、直線、非直線から二種類を体系的に使った組み合わせ全部。》1994年、水溶性パステル、水性塗料、鉛筆・壁

Courtesy the Estate of Sol LeWitt, Massimo De Carlo and TARO NASU Copyright the Estate of Sol LeWitt. 撮影: 木奥恵三

ソル・ルウィット| ウォール・ドローイング#769 について

 当館では2018年度にソル・ルウィット(1928–2007)のウォール・ドローイングを購入し、この作品がこのたび(2020年12月)所蔵品ギャラリー3階の「建物を思う部屋」に完成しました。

 1960年代からニューヨークを拠点に、ミニマル・アート、コンセプチュアル・アートの代表的作家として活躍したルウィットは、生涯に1200点以上のウォール・ドローイングを制作しました。しかしこれらは、必ずしも彼自身が描いてはいません。彼は次のように述べています。「アーティストはウォール・ドローイングの構想を立て、その設計をする。それを具現するのはドラフトマンである(アーティスト自身がドラフトマンを兼ねるも可)。プランはドラフトマンによって解釈される。プランの範囲内で、プランの一部としてドラフトマンによってなされる決定がある。ひとりひとりがそれぞれにユニークなので、同じ指示をあたえられても解釈が異なり、違ったふうにおこなわれるだろう」(『アート・ナウ』1971年6月号)。この言葉通り、彼のウォール・ドローイングは、彼(あるいは彼のエステート)が指定するドラフトマンによって実現されます。いわば作曲者と演奏者のような関係が、そこに生じることになります。そしてまた、このようなシステムをとることによって、彼の作品は制作の主体の在り処や、観念と実体との関係など、アートの根幹について見る者に問いを投げかけるのです。
 さて、このたび当館の壁面を飾るウォール・ドローイングは、その題名が示す通り約90×90cmの矩形をひとつの単位として、その矩形の中に16種類の円弧、直線、非直線が2つずつ組み合わされ、全部で120通りのパターンによって構成されます。図形が反復とずれによって生み出すリズムは、まるでミニマル・ミュージックを視覚化したような心地よい刺激を私たちの眼に届けるでしょう。

 この作品はこれまで1994年パリ、1996年マドリッドで開かれたソル・ルウィット展で制作されたことがありますが(各展覧会終了後に消去)、今回は下記の方々により制作されました。

ドラフトマン:趙幸子
アシスタント:石村正美
       平川淑子

 

ソル・ルウィット《ウォールドローイング#769》制作過程 Installation of Sol LeWitt, Wall Drawing #769

ソル・ルウィット《ウォールドローイング#769》の制作過程を記録したものです。1か月に及ぶ制作過程がスライドショー(5分)でご覧いただけます。

ソル・ルウィット《ウォール・ドローイング#769 黒い壁を覆う幅36インチ(90cm)のグリッド。角や辺から発する円弧、直線、非直線から二種類を体系的に使った組み合わせ全部。》1994年、水溶性パステル、水性塗料、鉛筆・壁|Courtesy the Estate of Sol LeWitt, Massimo De Carlo and TARO NASU Copyright the Estate of Sol LeWitt.

撮影・編集:木奥恵三

オンライン・コンテンツ

こちらでは、オンライン上でご覧になれるコレクションをご紹介します。

 

田中功起《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》「手話とバリアフリー字幕版」(2021年)オンライン無料公開のお知らせ

  このたび、東京国立近代美術館では、幅広い鑑賞の機会をつくるため、所蔵作品である田中功起《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》(2013年)の「手話とバリアフリー字幕版」(2021年/HDヴィデオ/カラー/サウンド/80分)を制作しました。この映像をオンラインにて無料公開いたします。

「美術館で映像作品を楽しみたい。」

 このプロジェクトは、一人のろう者の言葉から始まりました。近年、映画をBDあるいはDVDで鑑賞する際には字幕を選択できる場合があります。また映画館では、ろう者・難聴者・中途失聴者などのアクセシビリティを拡充する目的で、バリアフリー字幕をつけて鑑賞できる場合があります。しかし、美術館などで展示される映像作品に、バリアフリー字幕や手話による映像が付帯する例はたいへん少ない状況にあります。現状、ろう者・難聴者にとって、美術館で映像作品を鑑賞することは高いハードルがあるのです。

  2018年6月13日「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律(平成30年法律第47号)」が公布、施行されました。この法律では、「障害者が必要な支援を受けて文化芸術を鑑賞する機会を拡充する必要性」がうたわれています。これに基づき、当館は国立の美術館として、アーティストの田中功起氏の全面的な協力のもと、所蔵作品である《ひとつの陶器を五人の陶芸家が作る(沈黙による試み)》(2013年)の「手話とバリアフリー字幕版」及び「手話についての解説動画」(2021年/HDヴィデオ/カラー/サウンド/本編75分・解説5分、合計80分)を制作しました。

 今回、手話とバリアフリー字幕をつける映像作品として選んだ田中氏の作品は、第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2013年)で特別表彰を得た日本館での展示「抽象的に話すこと-不確かなものの共有とコレクティブ・アクト」の出品作の一つであり、国際的に評価の高い作品です。それぞれの出自や境遇、考え方の異なる5人の中国の陶芸家たちが、一つの陶器を協働で制作するプロセスを記録したドキュメンタリー作品であり、カメラを通して見えてくる世界は、まるで社会で暮らす我々の日常を抽象化しているかのようです。

 5人の陶芸家のうち男性3人を野﨑誠のざき まこと氏(手話ナビゲーター)、女性2人を佐沢静枝さざわしずえ氏(手話ナビゲーター)が演じます。手話の監修は、木下知威きのした ともたけ氏(手話マップ)が担いました。監督は、田中功起たなかこおき氏です。

 また、2020年は、コロナウィルス感染症がひろがりにより、多くのアーティストが展示の機会を奪われました。本プロジェクトはこのコロナ禍での作家支援も兼ねています。

 アート作品としての映像に、バリアフリー字幕のみならず手話をつけるという本プロジェクトは、世界的にみても数少ない取り組みです。ろう者・難聴者・中途失聴者の皆さんのみならず、手話やバリアフリー字幕にご関心のある方にも、是非ご覧いただきたいと考えています。今回の取り組みが、今後、インクルーシブな(誰も排除されない)芸術鑑賞の機会が増えていくための一助となることを願っています。

公開期間は2021年3月31日~2022年3月31日まで。無料で、1年間の期間限定的な公開となります。

また、所蔵作品展「MOMATコレクション」での展示は2021年10月5日~2月13日の会期を予定しております。

 

東京国立近代美術館

2021年3月吉日

キュレータートーク 所蔵品解説動画

研究員による所蔵作品解説動画をご紹介します。所蔵作品の魅力を、研究員が分かりやすく短い動画で解説しております。

プレイリストはこちら

また、ろう者や難聴者の方、日本語初学者にもご覧いただけるように、キュレータートークの【日本語字幕版】も公開しています。
【日本語字幕版】プレイリストはこちら

高村光太郎《手》1918年頃(解説:成相肇)

植田正治《パパとママと子供たち》1949年(解説:増田玲)

アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》1905-06年(解説:都築千重子)

萬 鉄五郎《もたれて立つ人》1917年(解説:三輪健仁)

速水御舟《白葡萄と茶碗》1920年(解説:鶴見香織)

荻原守衛《女》1910年(解説:古舘遼)

「北脇昇 一粒の種に宇宙を視る」展(解説:大谷省吾)