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ヨーロッパの日本作家
京都国立近代美術館の1972年度特別展として企画され、当館に巡回された。第二次大戦前に渡欧した芸術家たちは「留学生」の意識が強かったが、戦後は国際交流が活発化し、その地に在住して国際的活動を示す作家が増えてきた。そうした作家を紹介するために、1965年に「在外日本作家展」が開催されたが、本展はそれ以後の状況を示すために企画された。フランス、イタリア、オランダ、ドイツ在住の個々の作家の仕事に焦点が当てられた。 開催概要 東京国立近代美術館 1973年1月5日‒2月11日(33日間) 8,505人(1日平均258人) 京都国立近代美術館 25.0×25.0cm(50)p 117点 秋山礼巳 吾妻兼治郎 阿部展也(芳文) 宇都宮功 大谷文男 小倉浩二 嘉野稔 木村忠太 佐々木四郎 佐藤亜土 佐藤敬 菅井汲 高橋秀 タジリシンキチ 田中阿喜良 田淵安一千葉勝 豊福知徳 中井克巳 長岡国人 長沢英俊 長谷川潔 浜口陽三 平賀敬 松谷武判 水井康雄 南桂子 宮本浩二 山縣(県)寿夫/29人
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現代ドイツ美術展
国別により世界の現代美術を紹介する特別展シリーズの一つ。ドイツ美術の戦後における主要な動向と、1971年当時の断面を示すように企画、構成された。先駆的な役割を果たしたバウマイスターをはじめ、「ゼロ」グループ、ヨーゼフ・ボイスやゲルハルト・リヒターなど30名の絵画、彫刻を展観し、当時のドイツ美術界が、世界の現代美術の当面する種々の課題に応え、大胆に推進している創造活動と、その後の可能性が提示された。 開催概要 東京国立近代美術館 1971年10月20日‒12月5日(41日間) 13,182人(1日平均322人) 京都国立近代美術館 24.0×25.0cm(94)p. 74点 ホルスト・アンテス ルートヴィヒ・ヴィルディング ランベルト・マリア・ヴィンテルスベルガー パウル・ヴンダーリッヒ リヒァルト・エルツェルプレヒト・ガイガー ホルスト・エゴン・カリノフスキー ゴットハルト・グラウプナー コンラート・クラフェック フェルディナント・クリヴェート ブルーノ・ゴラー エミール・シューマッハー ベルナルド・シュルツェクルト・ゾンダーボルグ エルンスト・ヴィルヘルム・ナイ ペーター・ナーゲル エーリッヒ・ハウザー ヴィリ・バウマイスター ユリウス・ビシエール ヤン・フォス ゲオルク・カール・プファーラー ギュンター・ヘーゼ ヴォルフガング・ペトリック エルヴィン・ヘーリッヒ ヨーゼフ・ボイス ハインツ・マック ホルスト・ヤンセン ギュンター・ユッカー ゲルハルト・リヒター カスパー・トーマス・レンク/30人
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現代インド絵画展
もっとも代表的な現代インド絵画の全体像を初めて日本に紹介し、さきの「韓国現代絵画展」と同様、アジア美術における当時の状況を省察した展覧会である。古代美術の伝統と西洋近代からの影響という特色をあわせ持つインド美術が、それまでに獲得してきた作家独自の個人的表現を示す機会となった。出品作家の選定は、ラリット・カラ・アカデミーが当たり、事前に本館においてチェックし、極力こちらの意向を反映させて構成したものである。 開催概要 東京国立近代美術館 1970年11月3日‒11月29日(24日間) 7,421人(1日平均309人) インド共和国大使館 26.0×18.0cm(32)p. 54点 グーラン・ラスール・サントシュ ヤグディシュ・スワミナーサン ビマル・ダースグプタ シャワックス・チャヴダ バル・チャブダ ビレン・デシャンティ・デイヴ ジェラム・パテル バドリナラヤン R.S.ビシュト M.F.フサイン K.K.ヘッバール ソムナス・ホーレ ニローデ・マジュムダール A.ラマチャンドラン ラムクマール P.T.レッディ/17人
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富本憲吉遺作展
陶芸家として二人目の文化勲章を授与されるなど、近代日本陶芸の歩みに鮮烈な足跡を残した富本憲吉(1886‒1963)。逝去後、直ちに立案されながら、7年を経てようやく実現した展覧会で、作品は陶磁器のほか絵画、書などを加え、富本の芸術の全貌が展観できるものであった。当館での過去の遺作展に倣い、本展でも遺作展委員会が設けられ、京都国立近代美術館との共催によって開催、京都へも巡回された。 開催概要 東京国立近代美術館 1970年4月1日‒5月10日(35日間) 15,827人(1日平均452人) 京都国立近代美術館 富本憲吉遺作展委員会 26×18cm(36)p. 251点
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第4回ジャパン・アート・フェスティバル(日本芸術祭):国内展示
1965年に始まるジャパン・アート・フェスティバルはこれまでアメリカ方面の各都市で開催されてきた。4回目を迎える今回は初めてのヨーロッパ開催の試みとして、1970年3月パリ市チェルヌスキ美術館を皮切りに5月にマルセイユ、9月にミュンヘンへと巡回するものの国内展示である。今回は公募のみで委嘱作家の部門は廃止された。またヨーロッパ在住の高橋秀、吾妻兼治郎は作品を開催地に直送するため、国内展示には不出品だった。 開催概要 東京国立近代美術館 1969年12月6日‒12月14日(8日間) 25.8×18.2cm(2つ折り、折りたたみ時) 社団法人 国際芸術見本市協会 乾由明 今泉篤男 嘉門安雄 河北倫明 久保貞次郎 東野芳明 富永惣一 中原佑介 針生一郎 三木多聞 山田智三郎 25.8×18.2cm(2つ折り、折りたたみ時) 72点 60人
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第6回東京国際版画ビエンナーレ展
今回は40カ国が参加し、出品点数の内訳は外国129名356点、日本42名110点となった。第4回までは、国際大賞が外国人作家に、日本人作家の最高賞が東京国立近代美術館賞に振り分けられていたが、第5回から日本人作家も国際大賞の対象となり、今回は野田哲也(1940‒)が受賞した。また東京国立近代美術館賞はグラフィックデザイナーの永井一正(1929‒)が受賞し、横尾忠則(1936‒)による展覧会ポスターともあいまって、版画とデザインの関係が話題となった。 開催概要 東京国立近代美術館 1968年11月2日‒12月15日(38日間) 16,745人(1日平均441人) 国際文化振興会 マリオ・ペドローザ ムルク・ラジュ・アナンド マウリツィオ・カルヴェージ ウィレム・サンドベルク ハリーナ・フロストフスカ ピーター・セルツ 山田智三郎 23.4×18.6cm(149)p. 466点 171人
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第3回日本芸術祭:国内展示
日本の現代芸術文化を海外に紹介し、広い意味でその市場を開拓することを目的として始められた芸術祭の3回目となる今回は、1968年7月から、メキシコ市とセントルイスにおいて開催されることになり、展示作品を発送するのに先立って、1作家1作品を原則に当館で国内展示した。靉嘔、猪熊弦一郎、ジェームス・鈴木らの在外作家は作品を開催地に直送するため、国内展示には不出品。なお今年度は委嘱作家に加え、公募部門を設けた。 開催概要 東京国立近代美術館 1968年5月18日‒5月26日(8日間) 2,882人(1日平均360人) 社団法人 国際芸術見本市協会 今泉篤男 岡田譲 嘉門安雄 河北倫明 久保貞次郎 小山冨士夫 富永惣一 原弘 前田泰次 山田智三郎 今泉篤男 乾由明 嘉門安雄 河北倫明 久保貞次郎 三木多聞 富永惣一 東野芳明 中原佑介 針生一郎 山田智三郎 25.8×18.3cm(2つ折り、折りたたみ時) 126点 104人
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現代陶芸の新世代
次代の日本陶芸界を担う中堅作家31名を、所属する会派を問わずに選抜し、日本の現代陶芸の充実した飛躍を期する趣旨で開催された展覧会である。出品作品については、各作家がおよそ5年以内の近作のうちから一人約10点ほどを自選することで、作品それ自体とともに、自作を選ぶ作家の趣向もうかがうことができる興味深い展開が、見どころの一つとなった。 開催概要 東京国立近代美術館 1968年4月6日‒5月12日(32日間) 7,256人(1日平均227人) 今泉篤男 小山冨士夫 佐藤雅彦 本間正義 吉田耕三 26.0×18.0cm(19)p 250点 伊勢崎満 今井政之 十三代今泉今右衛門(善詔) 岩淵重哉 江崎一生 大樋年朗 岡部(加藤)嶺男 加藤清之 加藤釥 加藤卓男 金重道明 加守田章二 河本五郎 木村盛和 熊倉順吉 近藤豊 清水卯一 鈴木治 鈴木藏 谷口良三 田村耕一 辻清明 中里忠夫 西川実 藤平伸 藤本能道 藤原建 藤原雄 森陶岳 八木一夫(虚平) 山田光/31人
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第11回安井賞候補新人展
今回は、33の推薦団体、21名の推薦委員により、115作家の218点が推薦され、9名の選考委員により63作家68点の作品を展示することになった。さらに数回にわたる挙手と投票により、安井賞は国画会の島田章三(1933‒2016)の《母と子のスペース》に決定した。なお、次年度に美術館が竹橋に移転するに伴い、安井賞候補作品の当館における展示は、この回でとりやめとなった。最終回に因み、「安井曽太郎の遺作」26点を特別陳列した。 開催概要 東京国立近代美術館 1967年12月16日‒1968年1月21日(25日間) 9,791人(1日平均392人) 財団法人 安井曾太郎記念会 伊藤廉 今泉篤男 河北倫明 新道繁 野見山暁治 久富貢 土方定一 宮本三郎 山田智三郎 26.0×18.0cm(2つ折り、折りたたみ時) 68点 63人
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特別陳列 安井曽太郎の遺作
開催概要 東京国立近代美術館 1967年12月16日‒1968年1月21日(25日間) 26点
