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プレイバック・アーティスト・トーク

概要 当館では2005年以来、コレクション展に展示された作品の前で、活躍中のアーティスト本人に自作について語っていただく「アーティスト・トーク」を開催してきました。この催しはこれまでに30回を数えます。そもそも、現代の作品に接するための親しみやすい導入になることを期待して始められた催しでしたが、事実、それぞれのトークでは、作者のそれまでの歩みや、そのときに考えていたことなどがわかりやすく語られており、理解を深める上で貴重な機会となっています。そしてこれらのトークを収録した映像は、長い目で見れば歴史的証言にもなっていくに違いありません。 このたびの展示では、これまでのさまざまな分野のトークの中から、とくに絵画に焦点をあて、トークのダイジェスト映像と当館コレクションの作品約40点とをあわせてご紹介します。登場する画家たちはいずれも、1970年代末から80年代にかけて発表を始めていますが、それはまさに、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートといった、従来の美術のあり方を厳しく問い直そうとする動向の後を受けた、難しい時期に当たります。表現が極限まで切り詰められ、「見ること」「作ること」を根本から捉え直さなければならなかった状況から、彼らは絵画の豊かな可能性をどのようにして取り戻していったのか。そうした課題の追求の成果が、彼らのトークや作品から感じ取れることでしょう。 ここが見どころ そうか…そんなことを考えながら描いていたのか。 12人の画家が、自身の作品について、あるいは制作しながら考えていたことなどを、わかりやすく語ったトークの様子を、それぞれ15分程度にまとめた映像を展覧会場でご覧いただけます。作品と一緒に映像を見ることで、現代絵画がより身近に見えてくるはず。 トークの一部を書き起こした無料小冊子を配布 12人の画家のトークのハイライトを活字化。作品の図版もあわせて、文庫サイズの小冊子にまとめました。展覧会ご入場時におひとり一冊、無料でさしあげます。 同時代を見つめてきた批評家の言葉は? 展覧会会期中には関連イベントとして、今回取り上げた12人の画家たちの仕事を継続的に見てきた3人の美術批評家(天野一夫、谷新、建畠晢)の講演会を開催します。会場では作家の言葉を、そして講演会では批評家の言葉を聞くことで、現代絵画の課題が立体的に浮かび上がってくるでしょう。 YouTubeでプロモーションビデオ配信 12人の画家のトークから、それぞれ印象的な言葉を集めて、約4分のプロモーションビデオを作成しました。YouTubeでご覧いただけます。気になる言葉に出会ったら、続きはぜひ会場でじっくりと。 作家紹介 秋岡美帆 Akioka Miho 1952年神戸市生まれ。79年大阪教育大学大学院修了。82年に最初の個展(信濃橋画廊、大阪)。88年日本国際美術展で東京国立近代美術館賞受賞。90年「シガアニュアル90 写真による現代版画」(滋賀県立近代美術館)などに出品。94-95年、文化庁派遣芸術家在外研修員としてフランス、アメリカに滞在。2002年三重県立美術館で個展。現在大阪教育大学教授。 https://www.youtube.com/watch?v=f1r1LyEc2P0 岡村桂三郎 Okamura Keizaburo 1958年東京都生まれ。88年東京藝術大学大学院後期博士課程満期退学。84年から93年まで創画展に出品するが、その後は個展、グループ展を発表の場とし、93年「ART IN JAPANESQUE」(O美術館)、93年「現代絵画の一断面 『日本画』を越えて」(東京都美術館)、98年「『日本画』純粋と越境」(練馬区立美術館)などに出品するほか、2008年に神奈川県立近代美術館(鎌倉)で個展を開催。現在多摩美術大学教授。 https://www.youtube.com/watch?v=EOZ4NgyADw4 児玉靖枝 Kodama Yasue 1961年神戸市生まれ。86年京都市立芸術大学大学院修了。同年最初の個展(アートスペース虹、京都)。95年「視ることのアレゴリー」(セゾン美術館)、2002年「未来予想図」(兵庫県立美術館)、2010年「プライマリー・フィールド2」(神奈川県立近代美術館・葉山)などに出品。現在宝塚大学教授。 https://www.youtube.com/watch?v=W07HV6yOp0I 小林正人 Kobayashi Masato 1957年東京都生まれ。84年東京藝術大学卒業。85年に最初の個展(鎌倉画廊、東京)。89年「色彩とモノクローム」(東京国立近代美術館)、94年VOCA展(上野の森美術館/奨励賞)、95年「絵画、唯一なるもの」(東京国立近代美術館)、96年サンパウロ・ビエンナーレなどに出品。97年から2006年までベルギーのゲントで制作。2000年宮城県美術館、01年ゲント市立現代美術館、09年高梁市成羽美術館で個展。現在東京藝術大学准教授。 https://www.youtube.com/watch?v=I9HJbs6r_D0 鈴木省三 Suzuki Shozo 1946年大阪府生まれ。69年同志社大学卒業。70年フォルム洋画研究所にて研修。78年に最初の個展(藍画廊、東京)。89年「色彩とモノクローム」(東京国立近代美術館)、91年「今日の作家展」(横浜市民ギャラリー)、2001年インド・トリエンナーレ、同年「色の博物誌・緑」(目黒区美術館)、05年「絵画の行方―現代美術の美しさって何?」(府中市美術館)などに出品。 https://www.youtube.com/watch?v=q0Ho0xtw2ao 辰野登恵子 Tatsuno Toeko 1950年長野県生まれ。74年東京藝術大学大学院修了。73年に最初の個展(村松画廊、東京)。80年「Art Today 80 絵画の問題展」(西武美術館)、84年「メタファーとシンボル」(東京国立近代美術館)、87年「絵画1977-1987」(国立国際美術館)、94年サンパウロ・ビエンナーレなど多数の展覧会に出品。95年に東京国立近代美術館で個展、2012年「与えられた形象 辰野登恵子・柴田敏雄展」(国立新美術館)開催。現在多摩美術大学教授。 https://www.youtube.com/watch?v=6fH_N9c7dDs 堂本右美 Domoto Yuumi 1960年パリ生まれ。多摩美術大学、クーパ-ユニオン・ファインアート(ニューヨーク)卒業。90年に最初の個展(佐賀町エキジビットスペース、東京)。94年釜山ビエンナーレ、95年・99年VOCA展奨励賞、95年「絵画考 器と物差し」(水戸芸術館)、2000年「プライム 記憶された色と形」展(東京オペラシティアートギャラリー)、03年バングラデシュ・ビエンナーレなど国内外で発表。 https://www.youtube.com/watch?v=JDgqqIfDPW4 中川佳宣 Nakagawa Yoshinobu 1964年大阪府生まれ。87年大阪芸術大学卒業。同年最初の個展(番画廊、大阪)。94年「アート・ナウ94」(兵庫県立近代美術館)、同年「冒険美術」(滋賀県立近代美術館)、96年第1回昭和シェル石油現代美術賞展(最優秀賞)、同年「心を癒す植物 アート・ボタニカル・ガーデン」(目黒区美術館)、2003年「たがやすように」(和歌山県立近代美術館)、05年「三河・佐久島アートプラン21」(愛知県佐久島)、07年BIWAKOビエンナーレなどに出品。 https://www.youtube.com/watch?v=r6Vz9LDwt4Y 長沢秀之 Nagasawa Hideyuki 1947年埼玉県生まれ。72年武蔵野美術大学卒業。79年の個展(かねこ・あーとギャラリー、東京)から本格的に作家活動を始め、89年「色彩とモノクローム」(東京国立近代美術館)、90年「ART TODAY 1990」(セゾン現代美術館)、95年「絵画、唯一なるもの」(東京国立近代美術館)、99年「呼吸する風景」(埼玉県立近代美術館)などに出品。2008年には「風景からフウケイへ 長沢秀之展」(川越市立美術館)を開催。現在武蔵野美術大学教授。 https://www.youtube.com/watch?v=yDMizHf1hOE 日高理恵子 Hidaka Rieko 1958年東京都生まれ。85年武蔵野美術大学大学院修了。85年に最初の個展(みゆき画廊、東京)。95-96年、文化庁芸術家在外研修員としてドイツに滞在。93年「現代絵画の一断面 『日本画』を越えて」(東京都美術館)、97年VOCA展(上野の森美術館)、98年個展(国立国際美術館)、2005年「日本の知覚」展(クンストハウス・グラーツ他巡回)など国内外で発表。現在多摩美術大学教授。 https://www.youtube.com/watch?v=sPVcM7LQy5w 丸山直文 Maruyama Naofumi 1964年新潟県生まれ。文化服装学院、セツ・モードセミナー、Bゼミスクールに学ぶ。96-97年文化庁芸術家在外研修でドイツ滞在。90年に最初の個展(ギャラリー青山、東京)。92年「形象のはざまに」(東京国立近代美術館)、94年インド・トリエンナーレ、99年「ひそやかなラディカリズム」(東京都現代美術館)、2002年台北ビエンナーレ、08年個展(目黒区美術館)など国内外で発表。現在武蔵野美術大学教授。 https://www.youtube.com/watch?v=4veiKbQjT0s 山口啓介 Yamaguchi Keisuke 1962年兵庫県生まれ。85年武蔵野美術大学卒業。88年日本国際美術展で三重県立美術館賞。90年に同展で東京国立近代美術館賞。同年、最初の個展(ヒルサイドギャラリー、東京)。91年現代日本美術展で大賞。92-93年文化庁芸術家在外研修で渡米。また95-97年ドイツで制作。98年「アート/生態系」(宇都宮美術館)、2005年福岡アジア美術トリエンナーレなどに出品。また02年に西宮市大谷記念美術館、03年に高崎市美術館、05年に伊丹市立美術館、07年に国際芸術センター青森で個展。 https://www.youtube.com/watch?v=qW7wwzEvKj4 カタログ情報 イベント情報 講演会 天野一夫(豊田市美術館チーフキュレーター) 日程: 2013年7月6日(土)時間: 14:00-15:30 谷新(宇都宮美術館館長) 日程: 2013年7月20日(土)時間: 14:00-15:30 建畠晢(京都市立芸術大学学長) 日程: 2013年7月27日(土)時間: 14:00-15:30 *いずれも、東京国立近代美術館 講堂(地下1階)にて*申込不要、聴講無料(先着150名) 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2013年6月14日(金)~8月4日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00) 入館はそれぞれ閉館の30分前まで 月曜日(7月15日は開館)、7月16日(火) 一般650(450)円大学生350(200)円 ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。高校生以下および18歳未満、障害者手帳をご提示の方とその付添者(1名)は無料。上記料金で入館当日に限り、同時開催の「都市の無意識」、所蔵作品展「MOMATコレクション」、もご覧いただけます。 東京国立近代美術館

東京オリンピック1964 デザインプロジェクト

概要 東京オリンピックは、日本の戦後史の重要イベントとして記憶されています。オリンピックとはいうまでもなくスポーツの祭典ですが、1964(昭和39)年に開催された東京オリンピックは、第二次世界大戦で大きな打撃を受けた日本が、その終結からおよそ20年を経て、奇跡的な経済復興を成し遂げたことを国際社会に示す、日本の威信をかけた国家イベントであり、戦後日本のデザイナーが総力を挙げて取り組んだ一大デザインプロジェクトでもありました。 東京でのオリンピック開催が決定すると、1960年には「デザイン懇談会」が組織され、まずデザインポリシーが決められました。そして、デザイン評論家勝見勝の指揮のもと、シンボルマークとポスターを亀倉雄策、入場券および表彰状を原弘、識章バッジを河野鷹思、聖火リレーのトーチを柳宗理が担当したほか、田中一光をはじめとする当時の若手デザイナーたちが施設案内のためのピクトグラム、プログラムや会場案内図などの制作に組織的に取り組みました。その一連のデザインワークはその後の国際イベントのモデルともなり、国民はオリンピックを通じてデザインの力を身近に感じることになったのです。 2020年のオリンピック招致にむけた機運が高まるいま、あらためて1964年の東京オリンピックを振り返り、一連のデザインワークの全体像を追跡します。 カタログ情報 2013年刊行B5変形版、162ページ イベント情報 公開コロキウム「社会システムの中のオリンピックと<デザイン>」 佐藤道信(東京藝術大学)長田謙一(名古屋芸術大学)ジリー・トラガヌ(パーソンズ美術大学)暮沢剛巳(東京工科大学)吉本光宏(ニッセイ基礎研究所)関 雅宏(東京都生活文化局)木田拓也(当館主任研究員) 日程: 2013年4月21日(日)時間: 13:00–17:00場所: 東京国立近代美術館(本館) 地下1階 講堂主催:東京国立近代美術館、日本学術振興会科学研究費基盤研究A「社会システム<芸術>とその変容--現代における視覚文化/美術の理論構築」(研究代表:長田謙一) ※12:30開場※申込不要、参加無料(先着140名)※逐次通訳付き 座談会 「東京オリンピックのデザイン証言者」勝井三雄×小西啓介×道吉 剛 日程: 2013年5月12日(日)時間: 14:00–16:00場所: 東京国立近代美術館(本館) 地下1階 講堂※13:30開場※申込不要、参加無料(先着140名) 東京オリンピックのデザインワークに携わった勝井三雄(グラフィックデザイナー)、小西啓介(グラフィックデザイナー)、道吉 剛(デザインディレクター)の三者が登壇し、当時のエピソードなどをお話しします。 登壇者プロフィール 勝井 三雄 KATSUI Mitsuo グラフィックデザイナー1931年東京都生まれ。1955年東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、専攻科でデザインと写真について1年間研究。1956年味の素入社。1961年よりフリー。1964年東京オリンピックでは、各種競技プログラムや駐車ステッカー、駒沢エリアのサイン計画、デザインガイドシート制作に参加する。1970年大阪万博、1975年沖縄海洋博、1985年つくば科学博のAD、1990年花博シンボルマーク等を手がける。テクノロジーを使った表現を生かし新たなコミュニケーションの領域を拓き、国内外で活躍を続ける。毎日デザイン賞、東京ADC会員賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、NY ADC金賞、ラハチ、ブルノ、メキシコ、ワルシャワ、各国ビエンナーレでグランプリ、ライプツィヒ世界で最も美しい本展最優秀賞など、受賞多数。現在JAGDA理事、日本展示学会理事、武蔵野美術大学名誉教授、名古屋学芸大学デザイン学科特別顧問。 道吉 剛 MICHIYOSHI Gow デザインディレクター1933年岡山県生まれ。桑沢デザイン研究所リビングデザイン研究科卒業。国際誌『季刊グラフィックデザイン』編集部から、1964年東京オリンピック組織委員会デザイン室で運営を担当する。1970年の日本万国博覧会(大阪万博)協会副参事デザイン担当。武蔵野美術大学で5年間、桑沢デザイン研究所で37年間非常勤講師を続ける。現在、道吉デザイン研究室代表。1985年日本図書設計家協会を創設し初代の代表となる。日本インダストリアルデザイン協会機関誌編集委員。日本出版学会理事。シンボルマークデザインでは、東京大学出版会、大学出版部協会。CI計画では、国際連合大学、東京造形大学、ユネスコ・アジア文化センターなど。 小西啓介 KONISHI Keisuke グラフィックデザイナー1943年東京都生まれ。都立工芸高校図案科卒。1961年日本デザインセンター入社、原弘に師事する。1964年東京オリンピックでは、会報誌等ブックデザインを中心に参加する。平凡社、河出書房、筑摩書房、朝日新聞社、日経新聞社、東京国立近代美術館等のブックデザイン、朝日麦酒、旭化成、トヨタ等の広告に従事。1974年サン・アドに入社。1982年小西啓介デザイン室設立。雑誌『Hanako』は創刊からADとして参加。主な受賞に、 日宣美展奨励賞、同特選。東京ADC賞、東京ADC会員賞、朝日広告賞、毎日広告デザイン賞、広告電通賞など。「東京オリンピック1964 デザインプロジェクト」展のポスター、チラシ、カタログ表紙を担当。 ギャラリー・トーク 木田拓也(当館主任研究員) 日程:2013年2月24日(日) 寺本美奈子(印刷博物館) 日程:2013年3月17日(日) 内藤陽介(郵便学者) 日程:2013年4月14日(日) 鎮目良文(たばこと塩の博物館) 日程:2013年5月19日(日) 時間: 15:00–16:00場所: ギャラリー4 (2F)※申込不要、参加無料(要観覧券) 開催概要 東京国立近代美術館 ギャラリー4 2013年2月13日(水)~5月26日(日) 10:00–17:00 (金曜日は10:00–20:00)*入館は閉館30分前まで 月曜日(ただし、3月25日、4月1日、8日、29日、5月6日は開館)、5月7日(火) 一般420円(210円)大学生130円(70円) ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をご提示の方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。入館当日に限り、「フランシス・ベーコン展」(3/8~)の観覧料でも本展と所蔵作品展をご観覧いただけます。 3月3日(日)、4月7日(日)、5月5日(日)、5月18日(土・国際博物館の日) 東京国立近代美術館 公益財団法人 日本オリンピック委員会、特定非営利活動法人 東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会 たばこと塩の博物館、逓信総合博物館、独立行政法人日本スポーツ振興センター 秩父宮記念スポーツ博物館、東京都江戸東京博物館、凸版印刷株式会社 印刷博物館、新潟県立近代美術館

てぶくろ|ろくぶて コレクションを中心とした小企画

展覧会について 私たちは、どのようにして私たちを取り巻く世界と出会うのでしょうか。 たとえば、今そこにあるモノは、私が見ていない時にもちゃんとそこに存在するのでしょうか。それとも、私が見ているからこそモノはそこにあり、私抜きではモノは存在しない、つまり私が知覚していなければ私を取り巻く世界も消えてしまうのでしょうか。 反対に、私はそんなに大した存在ではなく、私もまた世界に無数にあるモノの一つに過ぎないのでしょうか。しかしそのとき、他のモノとはちょっと違うはずの「モノを知覚している私」という存在を一体どう考えればいいのでしょうか。 フランスの哲学者、モーリス・メルロ=ポンティ(1908‐1961)は、「私」だけがあるのでも「モノ」だけがあるのでもない、「私」と「モノ」が出会う、その接触面にだけ、世界は成立するのだと考えました。ちょうど、手袋の布一枚をはさんで内側の「私」と向こう側の「世界」が触れ合うように。メルロ=ポンティの著作は1960-70年代、アーティストに大きな影響を与えました。 この小企画展は、メルロ=ポンティを隠れた案内人に、「リヴァーシブルについて考える」「私が私にさわる」「一点透視法を疑う」などのテーマで、オブジェ、写真、映像、絵画など約30点をご紹介するものです。 展示構成 Ⅰ. リヴァーシブルについて考える 最初の部屋では、手にまつわる岡崎和郎の作品を中心にご紹介します。 たとえば、おのれを握る人間の手を「知覚」して凹んだ棒とボール。モノを知覚する人間の立場から離れ、モノの側が人間を知覚するようすを捉えています。知覚する私と知覚されるモノとがくるっと入れ替わることを、メルロ=ポンティは「可逆性(リヴァーシブルであること)」と呼びました。 私とモノの世界との間のリヴァーシブルな入れ替わりが起こる場所のひとつが、手です。岡崎にとってもメルロ=ポンティにとっても、手は、私に属しながら、モノの世界の中に真っ先に伸びてゆくという点で、私と世界のあいだに位置する特別な存在のようです。またメルロ=ポンティは、手を舞台として起こる私とモノとのリヴァーシブルな関係について、手袋のたとえを借りて語っています。手袋の内側に手があり、手袋の外側にモノの世界がある。両者の接点である手袋の布地の部分で人と世界は出会う。布地はまた、手とモノが簡単に入れ替わる裏返し点なのだ、と。 Ⅱ. 私が私にさわる この章では、私をさわる私、というテーマにまつわる作品をご紹介します。私の右手が私の左手に触れるとき、どちらの手が「手というモノを知覚する私」で、どちらの手が「私に知覚される、手というモノ」なのか、区別をつけることはできない、とメルロ=ポンティは言います。つまりここにも私とモノの世界とが入れ替わる、リヴァーシブルなポイントがあるのです。 「私をさわる私」のリヴァーシブルな関係、というテーマはまた、鏡というテーマにつながっています。なぜなら、人は鏡の前に立って自分で自分を見るとき、やはり自分というモノを自分自身で知覚しているからです。メルロ=ポンティがさかんに読まれた1960-70年代には、多くのアーティストが、新しいメディアであるヴィデオを用いて、この「自分を見る自分」という問題を考えました。 Ⅲ. 一点透視法を疑う 最後に、一点透視法への疑いを表す作品をご紹介します。 遠近法は、平らな画面に空間の奥行きを描き表すための技法です。その一種である一点透視法は、地平線上にひとつの点(消失点)を置き、そこに向ってすべてのモノが小さくなっていくように描くやり方で、ヨーロッパで発達しました。 一点透視法の特徴は、「私」が真正面から消失点に目を据え、身動きせずに外の世界を眺める態度を基礎に描かれていること。メルロ=ポンティは、「私」と世界がまるで敵対するようによそよそしく向い合う一点透視法の考え方を疑いました。「私」の身体は、実際には空間に入り込み、動き回り、さまざまな角度から世界を知覚するものだからです。その疑いを共有する人物として、メルロ=ポンティがたびたび論じたのが、画家、ポール・セザンヌでした。 美術の世界では、1960年代、パフォーマンスやヴィデオといった多様な表現手段が登場します。その中で、長く美術の中心に位置した絵画と、その絵画をしばってきた一点透視法とを問い直す作品が多く作られました。 ポール・セザンヌ 《大きな花束》 1892-95年頃  カタログ情報 イベント キュレータートーク 蔵屋美香(本展企画者・当館美術課長) 2015年 10月10日[土]   15:30-16:302015年 10月30日[金]   18:00-19:00 場所:ギャラリー4*申込不要、要観覧券 開催概要 ギャラリー4 9月19日(土)~12月13日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00) 入館は閉館30分前まで 月曜日[ただし、9月21日、10月12日、11月23日、、12月7日は開館]、9月24日、10月13日、11月24日 一般 430円 (220円)大学生 130円 (70円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、友の会・賛助会会員、キャンパスメンバーズ、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。 *それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、会員証、障害者手帳等をご提示ください。( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 ※お得な観覧券「MOMATパスポート」でご覧いただけます。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示により無料でご覧いただけます。 *本展の観覧料で、入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(所蔵品ギャラリー、4-2F)もご観覧いただけます。 10月4日(日)、11月1日(日) 、11月3日(火・文化の日)、12月6日(日) 東京国立近代美術館 所蔵品ギャラリー内での撮影禁止について 今会期(9月19日~12月13日)は「特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示。」の開催にともない混雑が予想されるため、所蔵品ギャラリーおよびギャラリー4における撮影はご遠慮願います。ご了承ください。

生誕110年 片岡球子展

概要 日本画家・片岡球子(1905-2008)は鮮烈な色彩、大胆にデフォルメされた形、力強い筆使いの画風で知られています。これらは、球子独自のものとして戦後の日本美術院において他の画家の追随を許しませんでした。 球子の制作は対象をじっくりと観察することから始まりますが 対象に深く没入するのではなく、むしろ対象を咀嚼するかのように、自分の眼に映るものを自分の感覚に引きつけ、独特の色使いと形のとらえ方によってつかみ取ります。歴史上の人物のように眼の前に存在しない対象を描く場合も同様です。現代を生きる人間として描かれる球子の歴史人物画は、他の作家たちが描くものとは全く性格が異なります。 さらに晩年には裸婦という新たな主題に取り組みます。眼の前の対象に忠実に、その形や重量感を線と色彩によってとらえようとする態度からは、描くことの意味を常に問い続ける球子の意欲がうかがえます。球子のこうした姿勢は、創立当時の日本美術院の作家達の制作態度にも通じ、またこれまでの日本画の枠組みを超えようとする後進の作家達にも大きな刺激となったことでしょう。 本展では、代表作によって球子の画業をたどるとともに、遺されたスケッチ、資料類もあわせて展示します。作家がどのように眼の前の世界と向き合い、どのようにその世界をとらえたかを示すことで、作家の芸術の本質に迫るとともに、その今日的意味を探ります。 出品点数:本画 約60点、スケッチ・資料類 約40点 見どころ 球子の画風の核心をスケッチから探る 球子はよく外に出かけては、山などの写生を行っていました。写生を出発点として本画を描くというのは一般的によくある手法です。鮮やかな色彩、思い切りデフォルメされた形…一度見たら忘れることができない球子の本画ですが、写生の時、対象物はどのように球子の眼に映っていたのでしょうか。 本展では、球子が遺した350冊あまりのスケッチブックを調査、精選し紹介します。球子の画風はなぜあれほどまでに強烈なのか、その秘密が明らかになるでしょう。 球子の代表作、勢ぞろい 本展では、初期代表作の《枇杷》(1930年)、鮮烈な色彩が際立つ《飼育》(54年)、舞楽を主題とした作品の代表《幻想》(61年)、〈面構〉シリーズの第1作目《面構 足利尊氏》《面構 足利義満》《面構 足利義政》(以上66年)、富士山を主題とした作品の中でも迫り来る山容が迫力満点の《山(富士山)》(64年)、背景に文様が描かれたものとしては例の少ない《ポーズ2》(84年)、文化勲章受章記念展に出品された《富士に献花》(90年)など、代表作を多数展示します。 知る人ぞ知る作品たち 約80年にわたる画業の間に生み出された作品は膨大な数にのぼります。その中には、画集や古いモノクロ写真で知られてはいるものの、実物を見られる機会がなかなかない作品もあります。 今回の展覧会では、そのような作品として《曼珠沙華》(横浜美術協会第5回展出品、1936年)、《羽衣滝》(個展出品、61年)、《梅図》(67年頃)などを展示します。いずれも、これまでほとんど公開されることのなかったものでありながら、実は球子芸術の特質を明らかにするうえで重要な作品です。 章構成 1章 1926(昭和元)年に女子美術学校(現在の女子美術大学)を卒業した球子は横浜市立大岡尋常高等小学校の教諭を務めながら、寸暇を惜しんで制作に励みました。日本美術院展に出品するも一時は連続して落選し、自身を「落選の神様」と称することもありましたが、研究に真摯に取り組み続け、やがて日本美術院の同人となりました。 この時期の球子は、おだやかな色彩、おとなしい筆線によって、《枇杷》(1930年)のように対象の形態を忠実に把握しようとしたり、《炬燵》(35年)のようにものの質感を表現しようとしたりしています。そこには、女子美術学校時代に身につけた、対象をじっくりと観察し、対象に深く没入する姿勢が見て取れます。 2章 やがて球子の作品には変化が訪れます。《海(小田原海岸)》(1959年)や《山(富士山)》(64年)のように、大胆な形態の把握、鮮やかな色彩の使用によって個性的な画風を確立したのです。その強烈な表現は他の日本画家の追随を許さないものでしたが、球子自身にとっては奇をてらおうとしたものではありませんでした。対象に向き合いその本質に極限まで迫ろうとする中で生まれたものだったからです。目の前の海や山は球子ならではの造形感覚で消化されます。そして、それ自体が別の生き物のごとくうごめき出すかのような、2次元の画面へと生まれ変わるのです。 3章 球子は1966年から、ライフワークである〈面構〉のシリーズに着手しました。描かれるのは歴史上の人物がほとんどです。山や海とは違い、目の前に存在しない対象という意味では、歌舞伎や能、舞楽を題材にした作品に描かれる人物も同様です。演じ手は目の前にいますが、その背後には物語の世界が広がっています。 自分の生きている今とは別の場所にいる人々を描くため、まずは古美術に表された図像や現役の役者に徹底的に取材します。しかしその後は、人物を取り巻く世界を球子の感覚に基づいた色や形で構築するのです。歴史人物にいたっては、その人がもし現代に生きていたら何を考えるかを想像します。目の前に存在しないものも、常に自分に引きつけてとらえる、それが球子流の手法なのです。 4章 1983年、球子は78歳にして、裸婦という新たなテーマに取り組み始めました。さまざまな色が混じりあった背景に描かれる裸婦の姿には、これまでの作品にあるような鮮やかな色彩や大胆な造形は見られません。体の微妙な凹凸が線描と彩色で注意深く表されています。何本もの線が重なりあうさまは、じっとモデルを観察しながら、体のラインを探り当てようとしているかのようです。 裸婦は、具体的なものが何も描かれない背景にさまざまなポーズで表わされています。画面の中で浮かんでいるようにも、横たわっているようにも、もたれているようにも見えます。裸婦が画面の四角い枠の中に押し込まれたようなものもあります。 〈面構〉のようにストーリーがあるわけでもなく、静かに目の前に存在する裸体の何をどうとらえるか、それをどのように絵画という四角く区切られた2次元の世界に表すか。それは、長い画業の中で絶えず取り組んできた、観察すること、描くことの本質を探ろうとする行為でした。 作家略歴 片岡球子 略年譜 1905(明治38)年 1月5日、札幌市に生まれる1926(大正15/昭和元)年 21歳 女子美術学校日本画科高等科を卒業。許嫁との結婚を断り画家の道を選ぶ。横浜市立大岡尋常高等小学校で教諭を務める傍ら制作に励む1930(昭和5)年 25歳 第17回院展に《枇杷》を初出品、入選する1955(昭和30)年 50歳 横浜市立大岡小学校を退職、女子美術大学で教鞭を取る1962(昭和37)年 57歳 9月、ヨーロッパへ出発。フランス、イタリア、イギリスをめぐり11月帰国(その後も数度、短期間渡欧する)1966(昭和41)年 61歳  愛知県立芸術大学が開校し日本画科の教授となる。〈面構〉シリーズの制作を始める1983(昭和58)年 78歳 〈ポーズ〉シリーズの制作を始める1989(昭和64/平成元)年 84歳 文化勲章を受章2008(平成20)年 103歳 1月16日、急性心不全のため逝去 カタログ情報 イベント 講演会 山本直彰(画家、武蔵野美術大学特任教授)「先生として、そして作家からの視点」 日程:    2015年4月11日(土)時間:    14:00-15:30場所:    東京国立近代美術館講堂(地下1階) *聴講無料、申込不要、先着140名*開場は開演の30分前 山梨俊夫(国立国際美術館長)「片岡球子の破格と正統」 日程:    2015年5月2日(土)時間:    14:00-15:30場所:    東京国立近代美術館講堂(地下1階) *聴講無料、申込不要、先着140名*開場は開演の30分前 球子の教え子であるお二人にお話をうかがいます。 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2015年4月7日 - 2015年5月17日 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00) 入館は閉館30分前まで 月曜日(ただし5 月4 日は開館) 一般1400(1200/1000)円大学生900(800/600)円高校生400(300/200)円ペアチケット 2枚で2000円(前売のみ) ( )内は前売/20名以上の団体料金。いずれも消費税込。中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。それぞれ入館の際、学生証等の年齢のわかるもの、障害者手帳等をご提示ください。前売券およびペアチケット販売期間は2015年3月11日(水)-2015年4月6日(月) 本展の観覧料で入館当日に限り、「大阪万博1970 デザインプロジェクト」(2Fギャラリー4)、所蔵作品展「MOMATコレクション」(4-2F)もご覧いただけます。 前売券[4月6日(月)まで]および当日券は、東京国立近代美術館券売所(開館日のみ)、オンラインチケット、チケットぴあ[Pコード:766-587(前売/当日)]、ローソンチケット[Lコード:36740]、セブン-イレブン[セブンコード:035-323]ほか、各種プレイガイドにてお求めいただけます。手数料がかかる場合がございます。 東京国立近代美術館、日本経済新聞社 損保ジャパン日本興亜大日本印刷 旭硝子 北海道立近代美術館 http://tamako2015.exhn.jp/ 公開は終了しました 愛知県美術館:2015年6月12日(金)-7月26日(日)

大阪万博1970 デザインプロジェクト 

概要 大阪万博(日本万国博覧会)は高度経済成長まっただなかの1970(昭和45)年に開催された国民的な祭典として記憶されています。その一方で大阪万博は未来都市を想定したデザインワークの実験場でもありました。 大阪万博の開催が正式に決まったのは、東京オリンピックの翌年1965(昭和40)年9月のことでした。それ以降日本の各界の英知を結集し、テーマの決定、基本構想の策定、シンボルマークの制定など、4年半後の開催に向けて矢継ぎ早に準備がすすめられました。 会場を千里丘陵とすることが決まり造成工事がはじまったのは、1967(昭和42)年3月のことでした。会期中、休日には50~60万人の観客が押し寄せてくることを想定し、近未来都市のモデルとして会場が設計されました。連日さまざまなイベントが繰り広げられるお祭り広場、テーマ館(太陽の塔)、劇場、美術館などを集めたシンボルゾーンを木の幹に、動く歩道を枝に、内外のパビリオンを花に見立てるというのがチーフプロデューサー丹下健三の基本構想でした。 かつて万博は「もの」を見せるイベントでした。ところが第二次世界大戦後には、「見せる万博」から「考える万博」へとその性格を大きく変えました。大阪万博が採択したテーマ「人類の進歩と調和」は、人類の進歩を讃えるだけなく、科学技術の進歩がもたらすさまざまな負の側面にも目を向けようという主張でした。この理念を表現すべく「お祭り広場」が構想され、その中心に岡本太郎による《太陽の塔》が作られ、テーマ展示が展開されたのです。 大阪万博はデザインの可能性を探る実験場でもありました。準備段階からデザイナーが動員され、シンボルマークやポスターやイラストをはじめとするプロモーション素材の制作、さらに会場内のサイン計画やパビリオンの展示設計などにも参加し、デザイナーという職能の可能性をさまざまなかたちで示しました。 大阪万博は6か月間の会期中に6,421万人が来場、大きな成功をおさめました。この展覧会では、大阪万博を成功に導いたデザインワークを振り返るとともに、デザイナーにとって万博とは何だったのか考えます。 展覧会構成 第1章 万国博覧会を成功させようプロモーションとデザインポリシー  「人類の進歩と調和」を基本理念とした大阪万博の開催が決定したのは,東京オリンピックの翌年のことでした。万博の出展招請のため、また観客動員のために作られたポスターやシンボルマーク、開催を記念して発売された切手やたばこなど、プロモーションのためのデザインを紹介します。 第2章 未来都市の実験場  万博会場では,岡本太郎の《太陽の塔》を囲むお祭り広場を中心に、美術館や劇場をシンボルゾーンとして、パビリオンだけでなく、動く歩道などの移動手段や噴水、野外彫刻、スタッフのユニフォームに至るまで、先進的な試みによって仮想の未来都市のイメージが表現されました。会場写真資料やデザイン原画などをとおして、当時のデザインワークを振り返ります。 第3章 デザイナーにとって万博とはなんだったのか  科学技術の進歩を讃えるだけでなく、その負の側面にも向き合うことを訴えた「テーマ館」をはじめ、桜の花びらをかたどった建物の配置が、万博のシンボルマークを表わす「日本館」や、横尾忠則が造形ディレクターを担当した「せんい館」など、各パビリオンの設計や展示デザインにおけるデザイナーの取り組みと葛藤を探ります。 カタログ情報 イベント情報 記念講演会 「大阪万博:20世紀が夢見た21世紀」平野暁臣(空間メディアプロデューサー) 日程: 2015年4月18日(土)時間: 14:00-場所: 地下1階講堂※13:30開場、聴講無料・申込不要(先着140名) ギャラリー・トーク 木田拓也 (当館主任研究員・本展企画者)日程: 2015年4月4日(土) 暮沢剛巳 (東京工科大学デザイン学部准教授)日程: 2015年4月12日(日) いずれも 15:00からギャラリー4会場にて※申込不要、参加無料(要当日観覧券) 演奏会 「フランソワ・バシェの音響彫刻の響き」演奏:永田砂知子、マルティ・ルイツ 日程: 2015年5月9日(土)2015年5月10日(日)場所: 地下1階講堂 ※各日聴講無料・申込不要(先着120名) 大阪万博「鉄鋼館」パビリオンに展示されたフランソワ・バシェの音響彫刻。復元された作品による演奏、ワークショップ、映像上映、シンポジウムを開催いたします。 ※開始時間等の詳細は決定次第本ページにてご案内いたします。 本イベントは日本万国博覧会記念基金の助成を受けています。 開催概要 ギャラリー4 (2F) 2015年3月20日(金)~5月17日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00) 入館は閉館30分前まで 月曜日(3月23日、30日、4月6日、5月4日は開館) 一般 430円 (220円)大学生 130円 (70円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、「MOMATパスポート」をお持ちの方、友の会・賛助会会員、キャンパスメンバーズ、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。 それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、会員証、障害者手帳等をご提示ください。( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。お得な観覧券「MOMATパスポート」でご覧いただけます。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示により無料でご覧いただけます。本展の観覧料で、入館当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(所蔵品ギャラリー、4-2F)と工芸館所蔵作品展もご観覧いただけます。「生誕110年 片岡球子展」のチケットでも、入館当日に限り本展と美術館及び工芸館の所蔵作品展をご覧いただけます。 4月5日(日)、5月3日(日) 東京国立近代美術館 大阪府

美術と印刷物─1960−70年代を中心に コレクションを中心とした小企画 

概要 美術館が収集・保管するものは、コレクションとして扱われる作品だけではありません。図書館機能によって集められた、膨大な数の書籍・雑誌・カタログ・パンフレット・DMなどの印刷物も眠っているのです。展示を前提とする作品と比べて人目に触れる機会の少ないこれらの資料体に焦点を当ててみようというのが本展の目的です。 注目したのは1960年代から70年代。なぜならこの時期に、美術作品と印刷物との境界が揺らぎ、両者が重なり合うような実験的な試みが集中して生まれたからです。 既存の絵画や彫刻を中心とした美術を否定し、アイディアやプロセス等に重きを置く芸術を推し進めた作家たちは、美術を成り立たせてきた展覧会や美術館、画廊という諸制度に代わる表現媒体として、印刷物に新たな可能性を見出したのです。 この展覧会は、東京国立近代美術館と国立新美術館のアートライブラリ収蔵の資料から約300点を選び出し、それを会期中数度の組み替えを行って様々な角度から検証することで、60-70年代に印刷物というメディアに託された表現者の「自由」を考察するものです。 photo | Nakagawa Shu, design | Mori Daishiro カタログ情報 イベント情報 「美術と印刷物」 関連トークイベント 「美術と印刷物」と印刷物 日程: 2014年8月24日(日)時間: 16:00-17:00場所: ギャラリー4(2階) *参加費無料、申込不要、要観覧券 会期の折り返し地点となる第2期(part.2)の最終日、4名のゲストを迎えてトークイベントを開催します。デザイナー、編集者、アーキヴィスト、キュレーター がそれぞれの視点から、印刷物の設計・制作プロセス、ポストモダニズム期における印刷技術=複製技術への関心、印刷物の展示的価値などを切り口に、美術/印刷物をめぐるさまざまな問題について語り合います。 出演上崎千(慶應義塾大学アート・センター所員/アーカイヴ理論)木村稔将(グラフィックデザイナー)古賀稔章(編集者)森大志郎(グラフィックデザイナー)+鈴木勝雄(当館主任研究員)三輪健仁(当館主任研究員) 1.Burning Small Fires を分析する 日程: 2014年10月10日(金)時間: 18:30-20:00場所: ギャラリー4(2階) *参加費無料、申込不要、要観覧券 通常、印刷物を見るとき、私たちは何を見ているのだろうか? ブルース・ナウマンが1968年に制作した印刷物に何を見るのか? その制作プロセスの解読からはじめ、それがもつ特質を探り出し、他の印刷物との違いについて議論します。 出演木村稔将(グラフィックデザイナー)森大志郎(グラフィックデザイナー) 2.巡る世界の静止の点に 日程: 2014年10月11日(土)時間: 15:30-17:00場所: ギャラリー4(2階) *参加費無料、申込不要、要観覧券 1冊の印刷物と書店で出会う。それは読書体験の出発点であり、そこからひとりひとりの読者と印刷物との対話の時間が始まる。読者は印刷物を介して、作家の言葉や作中人物の声に耳を傾け、彼らと時間や場所を飛びこえた会合を果たす。その出会いは個々の記憶の中にだけ、秘かに小さな足跡を残す。20歳のときにアメリカに渡り、NYのプリンテッドマターに勤務しながら自身の作家活動を開始し、帰国後は青山のユトレヒトやTHE TOKYO ART BOOK FAIRのスタッフとしても活動しながら創作を続けるミヤギフトシ。アメリカと日本、それぞれの場所で経験してきた印刷物との出会い、彼自身のつくる印刷物のなかに綴じ込まれた過去の記憶や時間の連鎖。美術と印刷物の過去と現在について、個人的な視点を入口に語り合います。 出演ミヤギフトシ(美術家)古賀稔章(編集者) 3.「サイズ」を測る/観察する 日程: 2014年10月25日(土)時間: 15:30-17:00場所: ギャラリー4(2階) *参加費無料、申込不要、要観覧券 紙の工業規格、印刷時の紙取り、流通に適した寸法など、印刷物に与えられた「サイズ」に焦点を当てます。本展から複数の事例を挙げ、印刷物とサイズの関係性について議論します。 出演木村稔将(グラフィックデザイナー)森大志郎(グラフィックデザイナー) 4.「『美術と印刷物』と印刷物」と印刷物 日程: 2014年10月31日(金)時間: 18:30-20:00場所: ギャラリー4(2階) *参加費無料、申込不要、要観覧券 印刷物は芸術のミュージアム的な在り方(コレクションや展覧会の構成要素としての芸術の在り方)の外部を、さらに芸術の「作品」としての在り方の外部を拡張してきました。しかしそのような〈外部〉がいま、ミュージアムの一室に展示されています。かつてロバート・スミッソンが印刷物に見ていた「脱分化 dedifferentiation」というコンセプトを道具立てに、当該展示を批判的に検証します。 出演平倉圭(横浜国立大学准教授/芸術理論)上崎千(慶應義塾大学アー ト・センター所員/アーカイヴ理論) クロージング・イベント|印刷物、残りのものたち 日程: 2014年11月1日(土)時間: 15:00-16:30場所: ギャラリー4(2階) *参加費無料、申込不要、要観覧券 4名のゲストを迎えクロージング・イベントを開催します。第4期の展示では、行為やイベントといった一過性の表現と、その記録としての印刷物がテーマになっています。当館で2012年に開催されたイベント「14の夕べ」の記録印刷物である『ドキュメント|14の夕べ…』などを参照点に、デザイナー、編集者、アーキヴィスト、キュレーターが出来事と印刷物をめぐる問題や、本展それ自体の印刷物の構想について語り合います。 出演上崎千(慶應義塾大学アート・センター所員/アーカイヴ理論)木村稔将(グラフィックデザイナー)古賀稔章(編集者)森大志郎(グラフィックデザイナー)+鈴木勝雄(当館主任研究員)三輪健仁(当館主任研究員) 開催概要 東京国立近代美術館 ギャラリー4 2014年6月7日(土)~11月3日(月) 1 期 : 6月7日(土)~7月13日(日)2 期 : 7月15日(火)~8月24日(日)3 期 : 8月30日(土)~9月28日(日)4 期 : 9月30日(火)~11月3日(月・祝) *会期途中、展示の入れ替え作業を行います。 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00) 入館は閉館30分前まで 月曜日(ただし7月21日、9月15日、10月13日、11月3日は開館)、7月22日(火)、展示替期間(8月25日(月)~8月29日(金))、9月16日(火)、10月14日(火) 一般 430円 (220円)大学生 130円 (70円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。 それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 本展の観覧料で、当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(所蔵品ギャラリー、4-2F)もご観覧いただけます。 7月6日(日)、8月3日(日)、9月7日(日)、10月5日(日)、11月2日(日)、11月3日(月・祝) 東京国立近代美術館

コレクションを中心とした小企画:都市の無意識

概要 都市と美術は切っても切り離せない関係にあります。都市は表現者を触発する場であり続けるとともに、それ自体美術の重要な主題の一角を占めてきました。と同時に、都市のイメージの形成に視覚芸術が果たした役割も無視できません。両者の不可分な関係を調べてみると、興味深いことに気づきます。表現者たちは、統一的な全体像を描き難い複雑な都市に接近するひとつの方法として、それを面的な広がりとして捉えるのではなく、垂直的な構造をもつ「地層」として認識してきたように思えるのです。秩序や均質化を志向する都市の表向きの表情を一皮剥げば、その下に無数の人々の夢や欲望や感情が、澱として沈んでいるはずだという直感が働いているのでしょう。 この展覧会では、このような都市の深層に到る入口として、最上層の「スカイライン」、下層の「アンダーグラウンド」、そして表層の中の多層性という意味での「パランプセスト」という三つのテーマに注目することにしました。制作された場所も時代も異なる絵画、版画、写真、映像、資料45点を渉猟しながら、わたしたちの想像力を刺激してやまない都市の隠れた構造に迫ります。 展覧会構成 アンダーグラウンドUnderground 都市の地下空間には何が潜んでいるのでしょう。そして、それは地上の世界とどのような関係を結んでいるのでしょうか。都市の無意識的な領域ともいえる地下世界に割り当てられた文化的、社会的な意味を歴史的に辿りつつ、地底に向けられた、あるいは地底から発する想像力の広がりを捉えます。 浜田知明の《カタコンベ》は、ローマやパリといった都市にある地下墓所を描いたものですが、画面左手の細く長い階段によって、そこが異界の入口であることがわかります。このような都市と死者の世界が背中合わせになっている神話的なコスモロジーに対して、奈良原一高が撮影した長崎の軍艦島では、地上の高層マンションと地下の炭鉱が直結し、都市と鉱業という近代社会における階層構造が示唆されます。都心を流れる渋谷川に降り立った畠山直哉の《川の連作》もまた、インフラの技術史を踏まえた都市の深層への探索です。さらに、地下世界と結びつけられてきたレジスタンスの精神を、新宿西口地下広場のフォーク・ゲリラの資料などによって振り返ります。 スカイラインSkyline スカイラインとは、都市を遠望したときに現れる建築と空との境界線のこと。個々の建物の外観ではなく複数の建築群の連なりがつくる輪郭です。現代の都市には、城壁に囲まれた中世都市のような明確な輪郭はありません。都市的なるものの氾濫によって、都市の境界は見えにくくなっています。もしかするとスカイラインは可視化できる唯一の境界線なのかもしれません。この都市の上辺をなす鋸の歯のような形象が、そこに住まう人々の欲望や感情をいかに映し出してきたか。20世紀以降の都市の歴史とともに考察してみましょう。 都市のスカイラインといえば、まずニューヨークの景観が浮かびます。天空にそびえる超高層ビルが描く輪郭は、アメリカの経済的な繁栄を象徴する「高さ」の記号として機能してきました。これに対して、2001年9月11日の同時多発テロ以降にオスカール大岩や勝又公仁彦が制作したマンハッタンの風景は、「高さ」の神話が潰えた後の情景とも見ることができ、スカイラインに対する認識の変化を物語ります。 パランプセストPalimpsest 過剰なまでに記号が輻輳する都市においては、ある匿名の表現の上から、また新たな匿名の表現が重ね書きされ、予期せぬ意味の連鎖や葛藤状態が生まれます。このような表層的な記号の戯れを「パランプセスト」をキーワードに考察します。パランプセストとは、元の文を消してその上に新たな文を書き重ねた羊皮紙の古代文書から転じて、多層性を意味する言葉です。 ポスターを乱雑に貼り重ねたパリの壁は佐伯祐三を魅了し、パリの路上の壁に刻まれた/描かれた落書きは写真家ブラッサイを惹きつけました。ブラッサイは、社会の周縁に追いやられた者の反抗とカタルシスの場と落書きを捉え、都市に潜在する無数の声をそこに聞き取ります。基層に通じる開口部は記憶装置としての壁に限らず、人々の情動が交差する盛り場にも点在していることでしょう。高梨豊は新宿のゴールデン街に大型カメラを据え、物と記号がひしめく室内を、重層的なテクスチャーとして切り取ります。そこには都市の秩序に抗うような野生の記号が織りなす有機体が息づいています。 会場配布物 イベント キュレーター・トーク ① 鈴木勝雄 (本展企画者・主任研究員)日程: 2013年6月22日(土)時間: 11:00-12:00 ② 鈴木勝雄 (本展企画者・主任研究員)日程: 2013年7月26日(金)時間: 18:00-19:00 ※いずれも参加無料(要観覧券)/申込不要 開催概要 東京国立近代美術館 ギャラリー4 2013年6月4日(火)~8月4日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00) 入館は閉館30分前まで 月曜日(ただし7月15日は開館)、7月16日(火) 一般 420円(210円)大学生 130円(70円) 高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。 それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。 本展の観覧料で、当日に限り、所蔵作品展「MOMATコレクション」(所蔵品ギャラリー、4-2F)もご観覧いただけます。 7月7日(日)、8月4日(日) 東京国立近代美術館

ジョセフ・クーデルカ展

概要 ジョセフ・クーデルカ(1938 年チェコスロヴァキア生まれ)は、今日世界で最も注目される写真家の一人です。本展はその初期から最新作までを紹介する展覧会です。 航空技師として働きながら1960 年代初頭に写真を発表し始めたクーデルカは、知人の紹介で撮影を始めたプラハの劇場での写真を通じてチェコスロヴァキアの写真界にその存在を知られるようになります。1967 年には技師の仕事を辞め、フリーランスの写真家として活動を開始。その翌年ワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻を撮影。その写真は匿名のまま西側に配信され、それをきっかけに1970 年、クーデルカは故国を離れました。 当初イギリス、後にフランスを拠点に、チェコスロヴァキア時代からとりくんでいた「ジプシーズ Gypsies1962-1970」や、亡命後にヨーロッパ各地で撮影された「エグザイルズ Exiles 1970-1994」などのシリーズを発表。それらは詩的でありながら独特の強さをもつイメージによって、市井の人々のささやかな人生の陰影をとらえつつ、20 世紀という時代をめぐる文明論的な奥行きをも備えた作品として高く評価され、クーデルカは一躍欧米の写真界でその名を知られるようになりました。 2002 年、クーデルカの初めての本格的な回顧展として、故国チェコ共和国、プラハのナショナル・ギャラリーで開催された本展は、その後トルコやメキシコに巡回しました。アジアでは初の開催となる東京展では、従来展示されなかったヴィンテージ・プリントが加わるほか、1980 年代後半よりとりくんでいるパノラマ・フォーマットの作品による「カオス Chaos 1986-2012」のシリーズを、最新作も含めた新たな構成とし、初期から今日に至るクーデルカの作品世界を紹介します。 ここが見どころ ジョセフ・クーデルカの回顧展はアジアでは初の開催 企画展ギャラリー(1階)の大空間に、代表的なシリーズ「ジプシーズ」や「エグザイルズ」も含む約280点が展示される、見ごたえ十分な展覧会です。 展覧会にあわせて、図録を出版 豊富な写真に加えて、日本語で文献が読むことのできる貴重な本です。 版型:241mm(横)*256mm(縦)ページ数204ページ(うち、写真ページ136ページ、文章68ページ)(予定) 同時期開催の所蔵作品展「MOMATコレクション」において、森山大道「にっぽん劇場」(全100点)を展示 クーデルカと同年生まれの森山大道。初期の代表作「にっぽん劇場」(1968)を展示します。昨年イギリス、テート・モダンで開催された「William Klein + Daido Moriyama」展にも当館より75点が貸し出し、注目されました。今回は、18年ぶりに全100点を一括展示します。他にもクーデルカ展の会期中の所蔵作品展には、当館コレクションより多数の写真作品を出品予定です。 展覧会構成 1 初期作品 Beginnings 1958-1961 1961年、クーデルカはプラハの劇場のロビーで最初の個展を開きます。発表されたのは学生時代に手に入れた中古カメラで撮りためた作品群。風景や人物など身近な世界を題材としつつ、フォルムの探求やパノラマ構図の実験など、そこにはその後に展開される作品世界の萌芽を見ることができます。 2 実験 Experiments 1962-1964 演劇雑誌の表紙のために制作された作品群。要素を切り詰め、フォルムを強調し、極端なハイコントラストによって様式化、抽象化された画面は、クーデルカの作品としては一見異色です。しかし、対象の本質をとらえイメージ化するこの「実験」の成果は、後の仕事に確実に受け継がれていきます。 3 劇場 Theater 1962-1970 演劇雑誌での仕事をきっかけに、プラハに新設された劇場の撮影を任されたクーデルカは、単なる記録にとどまらない、独創的な舞台写真へのアプローチを試みます。ときに大胆に様式化、抽象化されたイメージは、同時にその舞台のエッセンスを的確に伝えるものでもありました。 4 ジプシーズ Gypsies 1962-1970 クーデルカはチェコスロヴァキア各地に暮らすジプシーを訪ね、撮影にとりくみます。舞台写真の仕事と並行して撮影されたジプシーのシリーズは、現実の世界を「劇場」としてとらえる独特のヴィジョンをつくりあげるとともに、1975年に刊行された写真集により、クーデルカの評価を確立しました。 5 侵攻 Invasion 1968 「プラハの春」と呼ばれた民主化勢力の台頭に対する反動として、1968年8月、ワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアに軍事介入します。首都プラハへの侵攻と市民の抵抗、その一部始終を撮影したクーデルカの写真は、翌年、匿名のまま西側諸国に配信されました。 6 エグザイルズ Exiles 1970-1994 ワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻を撮影したことをきっかけに、1970年に故国を離れたクーデルカは、ヨーロッパ各地を旅しながら撮影を重ねます。1988年にそれらは写真集『エグザイルズ』にまとめられました。亡命者という自身の境遇を反映するように、疎外感やノスタルジーが、シリーズ全体を貫くトーンとなっています。 7 カオス Chaos 1986-2012 1986年、フランスの政府機関の依頼で英仏海峡をめぐる風景を撮影した際、クーデルカは初めてパノラマフォーマットのカメラを使います。以降、産業化によって荒廃した土地、地中海沿岸の古代ローマ遺跡群など、人間の営みと景観をめぐるさまざまなパノラマ作品が発表され、その作品世界は文明論的な奥行きを深めていきます。 作家紹介 ジョセフ・クーデルカ Josef Koudelka 1938 年チェコスロヴァキア、モラビア生まれ。1961 年プラハ工科大学卒業。技師の仕事のかたわら舞台写真などを撮影。またチェコスロヴァキア各地でジプシーたちを撮影。1968 年ワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻を撮影。その写真は、本人および家族への報復の懸念から、P. P.( 「プラハの写真家」のイニシャル)名義で発表され、1969 年、匿名のまま国際報道クラブによりロバート・キャパ賞が授与された。1970 年に英国に移住。1971 年国際的な写真エージェンシーである「マグナム」に加入(1974 年正会員)。1980 年渡仏。1987 年帰化。『ジプシーズ』(1975 年)、『カオス』(1999 年)などの写真集や展覧会多数。1978 年には優れた写真家に贈られるナダール賞を受章、またアンリ・カルティエ= ブレッソン賞(1991 年)、ハッセルブラッド国際写真賞(1992 年)など多くの写真賞を受賞しているほか、フランス芸術文化勲章(1992 年シェヴァリエ、2002 年オフィシエ)、チェコ共和国功労章(2002 年)を授与された。 カタログ情報 イベント情報 ジョセフ・クーデルカ展 ポスタープレゼント実施! 12月7日より、12月中の毎週土曜日、日曜日および祝日、先着20名様(各日)に、ジョセフ・クーデルカ展のポスターをプレゼントしております。ご希望の方はインフォメーションカウンターの係員に、本展のチケット半券をご提示の上、ポスター希望の旨お伝えください。*1名様1枚まで*配布枚数は各日20枚となっております。各日、配布枚数に達し次第終了となります 飯沢耕太郎氏による追加講演会が決定しました! 講演者|飯沢耕太郎(写真批評)講演タイトル|ジョセフ・クーデルカの写真世界 日程: 2013年12月7日(土)時間: 14:00-15:30場所: 東京国立近代美術館 講堂(地下1階)共催|マグナム・フォト東京支社、チェコセンター *開場は開演30分前*申込不要、参加無料(先着140名) 現在、東京国立近代美術館で開催中の「ジョセフ・クーデルカ展」は、1938年にチェコに生まれ、世界有数のドキュメンタリー写真家となった彼の、日本で最初の本格的な回顧展です。そこには、大胆で、実験的な初期作品、彼の名前が一躍知られるようになったソ連軍のプラハ侵攻を撮影した「侵攻」(1968年)、放浪の民の生と死を見つめ続けた「ジプシーズ」(1962-1970年)、故国を脱出して亡命者となったクーデルカの孤独感が色濃い「エグザイルズ」(1970-1994年)、パノラマカメラでヨーロッパ各地の風景を撮影し、神話的といえるような映像に昇華させた「カオス」(1986-2012年)など、代表作約300点が並んでいます。クーデルカが写真家として、大きく変動する時代と社会にいかに対峙していったかを、作品をスライド上映しつつお話ししたいと考えています。本講演に先立ち、短い時間でしたがクーデルカ本人にインタビューする機会がありました。そこで聞いた面白いエピソードも紹介します。(飯沢耕太郎) 講演会 増田玲(当館主任研究員/本展企画者) 日程: 2013年11月16日(土)時間: 14:00-15:30場所: 東京国立近代美術館 講堂(地下1階) *開場は開演30分前*申込不要、参加無料(先着140名) ギャラリー・トーク 小林美香(当館客員研究員) 日程: 2013年11月29日(金)時間: 18:00-19:00 増田玲(当館主任研究員/本展企画者) 日程: 2013年12月20日(金)時間: 18:00-19:00 いずれも、企画展ギャラリー(1階)にて※申込不要、参加無料(要観覧券) 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2013年11月6日(水)~2014年1月13日(月) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00) 入館はそれぞれ閉館の30分前まで 毎週月曜(12月23日、1月13日は開館)、12月24日(火)、年末年始(12月28日(土)-1月1日(水・祝)) 850(600)円大学生450(250)円 ( )内は20名以上の団体料金、いずれも消費税込。 高校生以下および18歳未満、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。上記料金で入館当日に限り、同時開催の「現代のプロダクトデザイン-Made in Japanを生む」展、所蔵作品展「MOMATコレクション」および、工芸館で開催の「クローズアップ工芸」、「日本伝統工芸展60回記念 工芸からKOGEIへ」もご覧いただけます。 東京国立近代美術館、マグナム・フォト東京支社 チェコ共和国大使館、チェコセンター ライカカメラジャパン株式会社 日本航空

あなたの肖像―工藤哲巳回顧展

概要 戦後美術における異形・異能の芸術家 工藤哲巳  東京で初めての回顧展 工藤哲巳(1935-90)は、東京藝術大学在学中から作品の発表を始め、「反芸術」の代表的作家のひとりとして、早くから世間の注目を浴びました。1962年以降はパリに拠点を移し、80年代半ばまで、主に欧州で活動します。日本では「反芸術」の印象の強い工藤ですが、それは最初の数年間に過ぎません。とくにパリに拠点を移したのちは、文明ないし社会批評的観点から作品を制作していきました。本展では日本初公開の作品に加え、彼が作品制作と同様に取り組んできたパフォーマンスに関する記録映像、写真など、総数200点を超える作品や資料を展示し、彼の活動の全貌を紹介致します。日本では20年ぶり、東京では初めての回顧展です。 ここが見どころ 世界で再評価の進む工藤哲巳。日本では20年ぶり、東京では初の回顧展 994年に大阪の国立国際美術館で開催された回顧展以来、国内では20年ぶりの回顧展、東京では初の回顧展です。 日本初公開の作品を含む国内外の代表作200点が集まる大展覧会。 アムステルダム市立美術館、ゲント現代美術館、ポンピドゥ・センター(パリ)、ニューヨーク近代美術館などをはじめ、海外から借用する作品の多くは日本初公開です。工藤の活動を包括的に紹介する初めての機会と言えるでしょう。 「読売アンデパンダン」展の傑作。約半世紀ぶりに日本に帰国。 1962年第14回「読売アンデパンダン」展での出品作《インポ分布図とその飽和部分に於ける保護ドームの発生》(ウォーカー・アート・センター蔵)が、約半世紀ぶりに日本で展示されます。ひとつの展示室を丸ごと占有したこの作品は、今の言葉で形容すればインスタレーションとも言うべきもので、赤瀬川原平曰く、「この年の最大傑作」と高く評価された伝説的作品です。 豊富な記録写真や映像資料 工藤は作品制作のみならず、自身の身体を用いて数々のパフォーマンス(ハプニング/セレモニー/パフォーマンス)を行いました。これらを記録写真、記録映像、関連資料によって紹介します。 展覧会特設サイトをオープン! 東京国立近代美術館、国立国際美術館、青森県立美術館の3館で特設サイトを運営します。会期中、情報を随時更新していきます。こちらもぜひチェックしてみてください! *公開は終了しました 展覧会構成 1) 1956-62 Tokyo 工藤哲巳は、大学卒業前後から主に「読売アンデパンダン」展で活躍しました。当初はアンフォルメル風の絵画を描いていましたが、増殖をテーマに無数の紐の結び目からなる立体の作品、木の根っこに無数の釘を打ちつけた作品などを制作するようになりました。一連の作品には「融合反応」や「増殖性連鎖反応」といった物理学の用語を思わせる題名がつけられています。また、ここでは「読売アンデパンダン」展の会場一室を占有して話題となった《インポ分布図とその飽和部分に於ける保護ドームの発生》も紹介します。 2) 1962-69 Paris パリに到着した直後から工藤は現地の芸術家、批評家たちと交流し、多くの展覧会に参加しました。また、この頃から箱や鳥かご、温室といった対象を閉じ込めるかのようなフレームを用いるようになります。断片的な身体、あるいは肥大化したり溶け出したりする身体が、それぞれサイコロを模した箱に入れられ積み上げられた《あなたの肖像》や、観音開きの戸棚のような矩形のなかに、瓶詰にされた人形が並ぶ《あなたの偶像》など、閉所に押し込められ、一方でそのなかで保護される人間の様相を表現したショッキングな作品を発表し、物議を醸しました。 3) 1969-70 Mt. Nokogiri (Chiba) 1969年、一時帰国。さなぎと男根のダブルイメージを象った巨大なモニュメント《脱皮の記念碑》を、千葉県鋸山の断崖に制作しました。学生運動の渦中に飛び込み、若い世代との交流を図りました。 4) 1970-75 Düsseldorf, Paris, Amsterdam, and Milan 環境汚染、放射能などの公害問題をテーマに、人間と自然と科学技術とが共生するモデルを提示した作品「環境汚染―養殖―新しいエコロジー」を、1971年頃から展開しました。個展を行ったデュッセルドルフでは、劇作家・イオネスコの手掛けた映画の舞台美術の制作を手伝いました。しかし、その後、彼をヨーロッパの悪しき知識人の典型として批判の俎上に乗せ、「イオネスコの肖像」を制作。また、「コンピュータ・ペインティング」と題された平面作品に取り組みました。 5) 1975-80 Okayama, Berlin, and paris 岡山でのグループ展のために一時帰国したのち、ドイツ学術交流基金(DAAD)の奨学金でベルリンに一年間滞在し、制作を行いました。1970年代後半頃から、作品の見た目は攻撃的ものから徐々に内省的なものへと変化していきました。まるで逃れられない運命や遺伝子のネットワークを手繰るかのように、綾取りを行う姿の自画像などが制作されるようになります。1980年にはアルコール中毒治療のため、一時入院しました。 6) 1980-90 Tokyo, Paris and Hirosaki 70年代後半から見られるようになった糸の塊は、次第に繭玉として独立し、《二つの軸とコミュニケーション》といった作品に発展していきます。ここでは、自らの死が近いことを悟ったうえで制作されたと思われる晩年作品《前衛芸術家の魂》や人魂、凧などの作品を紹介します。 作家紹介 工藤哲巳とは 1935年、大阪生まれ。父の出身地である青森で少年時代を過ごし、父の早世後、母の郷里の岡山で高校時代を過ごしました。東京藝術大学に進学。大学在学中から、「読売アンデパンダン」展を中心に作品の発表を開始。篠原有司男や荒川修作たちが結成した「ネオ・ダダ」とともに、「反芸術」の代表格として注目されました。1962年、渡仏。以来、日本を行き来するようになる80年代半ばまで、欧州を中心に活躍。ヨーロッパでは、「あなたの肖像」のシリーズに代表されるように、同地の「良識」を挑発する作品やパフォーマンスを次々と展開。1972年には、アムステルダム市立美術館で個展が開催されました。1970年代後半頃から、徐々に内省的な雰囲気を湛えた作品へと変化していきます。1987年には、母校の東京藝術大学の教授に就任。1990年11月12日、55歳の若さで他界しました。彼の作品は一見するとグロテスクですが、それらは物理学や数学、文明社会への関心を踏まえ、「社会評論のモデル」として、見る者の既成概念を揺るがすことを目的に作られています。1994年には国立国際美術館で回顧展。2007年にはメゾン・ルージュ(パリ)、2008年にはウォーカー・アート・センター(ミネアポリス)で回顧展が開かれるなど、世界的に再評価の機運が高まっています。 カタログ情報 イベント情報 プレ・イヴェント 開催趣旨: 今秋より国立国際美術館、東京国立近代美術館、青森県立美術館の3館巡回で開催される「あなたの肖像―工藤哲巳回顧展」(当館での会期は2014年2月4日~3月30日)のプレ・イヴェントとして、3館の展覧会企画者による発表と、1969年に工藤が千葉県房総の鋸山に制作した巨大モニュメント「脱皮の記念碑」を軸とした記録映画(1970年)の上映を行います。近年、フランスやアメリカの美術館で回顧展が開催され、再評価の機運の高まっている工藤について知るまたとない機会です。 開催日時:2013年6月23日(日) 13:00-16:30 *開場は開演30分前*申込不要、参加無料、先着150名 会場:東京国立近代美術館 講堂(地下1階) プログラム 13:00-13:20 「工藤哲巳のハプニングについて」         島敦彦(国立国際美術館学芸課長)13:30-13:50 「工藤哲巳と高松次郎一初期作品をめぐって」         桝田倫広(東京国立近代美術館研究員)14:00-14:20 「工藤哲巳の宇宙論」         中井康之(国立国際美術館主任研究員)14:30-14:50 「工藤哲巳の贈与性」         飯田高誉(青森県立美術館美術統括監)15:00-15:20 「工藤哲巳と津軽」         池田亨(青森県立美術館学芸主幹)15:40-15:50 映画紹介 島敦彦15:50-16:20 映画上映「脱皮の記念碑 工藤哲巳の記録」         (1970年) 講演会 ① 堀浩哉(美術家、多摩美術大学教授)日程: 2014年2月22日(土)時間: 14:00-15:30 *記録映画「脱皮の記念碑 工藤哲巳の記録」の上映後、当時から工藤と交友関係を築いた堀氏にお話しを伺います。 ② 沢山遼(美術批評) 「工藤哲巳―自動生産の工学」日程: 2014年3月1日(土)時間: 14:00-15:30 ③ 中嶋泉(美術史家、明治学院大学研究員) 「工藤哲巳と草間彌生」日程: 2014年3月15日(土)時間: 14:00-15:30 *いずれの講演会も聴講無料、申込不要、先着150名*地下1階講堂にて。開場は開演30分前 ギャラリー・トーク 桝田倫広(当館研究員、本展担当者)日程: 2014年2月14日(金)2014年3月14日(金)時間: 18:00-19:00場所: 1階企画展ギャラリー *参加無料、申込不要、要観覧券 上映会 記録映画「脱皮の記念碑 工藤哲巳の記録」(1970年)日程: 2014年2月8日(土)時間: 14:00-14:30場所: 地下1階講堂 *無料、申込不要、先着150名*開場は開演30分前 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2014年2月4日(火)~3月30日(日) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00) 月曜日(3月24日は開館) 一般850(600)円 大学生450(250)円 高校生以下および18歳未満、障害者手帳などをご提示の方とその付添者(1名)は無料。( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。上記料金で入館当日に限り、同時開催の「MOMATコレクション」、「泥とジェリー」および、工芸館で開催の「日本伝統工芸展60回記念 工芸からKOGEIへ」、所蔵作品展「花」もご覧いただけます。 東京国立近代美術館、国立国際美術館、青森県立美術館 日本航空 公開終了しました 国立国際美術館:2013年11月2日(土)~2014年1月19日(日)青森県立美術館:2014年4月12日(土)~6月8日(日)

竹内栖鳳展 近代日本画の巨人

概要 日本画家の竹内栖鳳(1864-1942)は京都に生まれ四条派の幸野楳嶺(こうのばいれい)に学び、京都画壇の近代化の旗手として土田麦僊(つちだばくせん)をはじめとする多くの後進に影響を与えました。 栖鳳は積極的に他派の筆法を画に取り入れ、また定型モティーフとその描法を形式的に継承することを否定し、画壇の古い習慣を打ち破ろうとしました。その背景には、明治33(1900)年のパリ万博視察のための渡欧がありました。現地で数々の美術に触れ、実物をよく観察することの重要性を実感したのでした。 しかし、やみくもに西洋美術の手法を取り入れたのではないところに栖鳳の視野の広さがありました。江戸中期の京都でおこった円山派の実物観察、それに続く四条派による対象の本質の把握と闊達な筆遣いによる表現は幕末には形式的なものとなり、定型化したモティーフとそれを描くための筆法だけが残ってしまいました。栖鳳は実物観察という西洋美術の手法をもとに、西洋と肩を並べられるような美術を生み出そうという気概でこれら伝統絵画の根本的理念を掘り起こそうとしたのです。 栖鳳の作品の前に立つと、あたかもその対象にじかに触れているかのような感覚におそわれますが、よく見ると、描かれているものが実物とかけはなれていることもしばしばです。それは、丹念な実物観察を行いながらも、その目的は外形写生ではなく、あくまでも対象の本質をつかむことにあったことを表しています。 本展は、栖鳳の代表作、重要作、長らく展覧会に出品されてこなかった作品約110点、素描などの資料約60点で栖鳳の画業を通観し、栖鳳が新たな時代に築いた日本画の礎を示します。 会期中、展示替えがあります ここが見どころ 過去最大規模の回顧展! 今回の展覧会で出品される本画は100点あまり。1957年に開催された回顧展以来の大規模展です。しかも主要作品、重要作品を可能な限り網羅しています。 展覧会初出品作品も! 京都の神泉苑に奉納されて以来、展覧会には初出品となる絵馬《龍神渡御の図》(1887年)をはじめ、《富士図》(制作年不詳、本間美術館)、《花に蔵》(1934年、個人蔵)など、古い図版で知られていたものの実物を観る機会がほとんどなかった優品が登場します。どの作品も、栖鳳の画業の多様さを納得させてくれます。 海外への発信に注目! さらに海外から、栖鳳作の原画(髙島屋史料館)をもとに製作されたビロード友禅《ベニスの月》(1907年、大英博物館)がやってきます。栖鳳は明治期、当時京都が都市をあげて世界へ販路を開拓していた美術染織の製作にかかわりました。自ら友禅の原画を描くだけでなく、日本画・洋画の別に関係なく他の画家が描いた原画に助言を与えるプロデューサーの仕事もしていました。この作品からは、日本国内で絵画の近代化をはかるだけなく、海外で通用する日本美術とはどのようなものかという、栖鳳の研究のあとがうかがえます。なお明治の京都の美術染織は近年専門家の間で注目を集めていますが、原画と染織作品両方が現存しているものは少なく、この作品はきわめて貴重です。 展覧会構成 第1章 画家としての出発 | 1882 ̶ 1891 竹内栖鳳は四条派の幸野楳嶺(1844-1895)に入門し、楳嶺の厳格な指導のもとで四条派の表現技法をはじめ漢文などの素養を身につけました。楳嶺画塾の外でも、師について北越地方を写生してまわったり、京都社寺で古画の模写を行ったりすることで修練を重ねました。この時期の作品は、栖鳳のこうした学習の様子を示すかのように、伝統的な画題が伝統的な筆致で描かれています。中には、後年の栖鳳の作品からは想像もつかないような作風のものもあり、修業期から発展期へと、栖鳳の画業がいかに大きく羽ばたいていったかをうかがうことができます。この章では、現在遺されている栖鳳による古画の模写もあわせて展示します。一目であの作品と分かる名画からそうでないものまで、さまざまなものが写されました。あたかも、目にする古画を片端から模写していったかのようです。写したものは師匠楳嶺の属する四条派の作品だけにとどまりません。幅広い古画学習は、やがて人々の間に議論を巻き起こし、画壇の話題の人物として栖鳳にスポットライトが当たるきっかけとなるのです。 第2章 京都から世界へ | 1892 ̶ 1908 栖鳳は、1892年の京都市美術工芸品展に出品した《猫児負暄(びょうじふけん)》(現存せず)が円山派、四条派、狩野派といった複数の絵画の流派の筆遣いを1枚の作品の中で使用したとして、鵺派(ぬえは)と称されました。異なる流派の技法を混在させたことは、それまでの絵画の約束を破るものとして非難の的となった一方、新しい流派がおこる予兆として期待を集めました。この時期栖鳳は、歴史上の事象、同時代の京都の景観、骸骨などさまざまな主題に取り組みました。その中には明らかに西洋画の表現を意識したものが多数見られます。栖鳳はかなり早くから西洋美術の存在を意識して、海外の美術文献の講読会を自身の画塾で開きました。加えて、万博への出品や販路の確保のため海外へ眼を向けていた京都の美術染織業界にもかかわることで、西欧における日本の美術のあり方について考えを深めていったのです。 さらに1900年にパリ万博視察のために渡欧し、各地で多数の西洋美術に触れた栖鳳は、帰国すると、獅子やヨーロッパ風景を西洋絵画的な写実性を帯びた表現で描き注目を集めました。しかしそんな彼が渡欧体験を通じてもっとも重視するに至ったのは、西洋美術の長所である実物観察にもとづいた写生に、日本の伝統絵画が得意とする写意―外形というよりは対象の本質を描き出すこと―を融合させることでした。 この章で紹介する作品は、西洋美術に関心を持つ京都画壇の若手画家の一人だった栖鳳が、数々の経験を経て、西洋美術に肩を並べるという広い視野をもって伝統絵画の表現を見直した足跡にほかなりません。また本章では、栖鳳の美術染織の仕事にスポットをあてたコーナーも設けます。西洋で通用する日本の美術はどのようなものであるのか、栖鳳の考えが見えてくることでしょう。 第3章 新たなる試みの時代 | 1909 ̶ 1926 美術学校の教諭として、多数の弟子を抱える画塾の主として、また1907年から始まった文部省美術展覧会(通称文展)の審査員として、栖鳳はすでにこの時期、画壇において地位を確立していました。土田麦僊をはじめとする後進も頭角を現し、1918年に彼らによって国画創作協会が結成されると、栖鳳はその顧問となりました。しかし栖鳳の活動は若い世代の育成にとどまりませんでした。人物の動作の優美さだけでなく、一瞬の仕草のなかに彼らの心情を描き出そうとしたり、従来の伝統的な山水表現でも西洋絵画的な遠近法をそなえた風景表現でもない風景画を描こうとしたり、あるいはこれまでよりもいっそう、生き物の生命感に肉迫しようとしたりと、新たな表現を意欲的に研究しました。この章では栖鳳のこうした作品のほか、人物画研究にスポットを当て、スケッチとともに制作のプロセスをたどります。また表現、主題ともに栖鳳に多くの刺激を与えた旅についても、本画に写生帖や資料をあわせて展示することで総括を試みます。 第4章 新天地をもとめて | 1927 ̶ 1942 昭和に入ると栖鳳はしばしば体調を崩し、1931年に転地療養のため湯河原へ赴きました。健康を回復すると、東本願寺の障壁画に取り組むなど、以前よりさらに精力的に制作し、以降この地で没するまで、彼は湯河原と京都とを頻繁に行き来しました。この時期の栖鳳は、より洗練された筆致で対象を素早く的確に表現するようになると同時に、自然を見つめる自身のあたたかいまなざしを作品の前面に出すことが多くなりました。さらに晩年に至ってもなお、金箔により陽光の輝きを表現するような実験的な作品も生み出されたことは注目に値するでしょう。栖鳳の制作は、常に実物観察による写生から出発しました。しかし本画をつぶさに観察すると、写生から画絹に表現するまでの間にさまざまな要素が取捨選択されており、その取捨選択の仕方が年齢とともに変化していくのがわかります。それが栖鳳の画風の変遷を形成しているのです。最終章では、昭和期の作品を紹介するほかに、栖鳳が生涯を通して追究した写生を、水というモティーフを手がかりに探ります。 作家紹介 元治元(1864)年京都に生まれる。 明治10(1877)年四条派の画家・土田英林に入門。 明治14(1881)年同じく四条派の大家・幸野楳嶺に入門し、「棲鳳」の号を授かる。 明治22(1889)年髙島屋意匠部に勤務、その後も顧問としてかかわる。 明治25(1892)年京都市美術工芸品展に《猫児負暄》を出品、その筆法から鵺派と評される。 明治28(1895)年京都市美術工芸学校教諭となる。 明治33(1900)年パリ万国博覧会視察のため渡欧、各地の美術館や美術学校を視察。 明治34(1901)年帰国、第7回新古美術品展に《獅子》を出品、雅号を「栖鳳」とする。 明治40(1907)年文部省美術展覧会(文展)始まり、審査員となる。 大正2(1913)年帝室技芸員となる。 大正7(1918)年弟子の土田麦僊らが結成した国画創作協会の顧問となる。 大正9(1920)年弟子で娘の夫でもある西山翠嶂、京都市立絵画専門学校教諭で若手画家に最先端の西洋美術思潮を盛んに紹介した美学者の中井宗太郎らとともに中国を旅行する。翌年も訪中。 大正13(1924)年フランス政府より、日仏間の文化交流の発展に尽くした者に贈られるシュヴァリエ・ド・ラ・レジオン・ドヌール勲章を受ける。 昭和6(1931)年肺炎の療養のため湯河原へ赴く、以降京都と頻繁に行き来する。 昭和12(1937)年文化勲章受章。 昭和17(1942)年肺炎のため湯河原にて歿する。 カタログ情報 イベント情報 講演会 高階秀爾(大原美術館長、東京大学名誉教授)「竹内栖鳳 -もうひとつの西洋体験-」 日程: 2013年9月7日(土)時間: 14:00-15:30場所: 東京国立近代美術館講堂(地下1階) *開場は開演30分前*参加無料(140名) 要申込(応募者多数の場合は抽選とさせていただきます) 申込方法郵便往復はがきの往信用裏面に郵便番号・住所・氏名(ふりがな)・電話番号を返信用表面に郵便番号・住所・氏名を明記のうえ、お申し込みください。*1枚の往復はがきで2名までの応募可。2名応募の場合は往信用裏面にそれぞれの氏名を明記してください。 申込先〒106-0032 東京都港区六本木4-8-7 六本木三河台ビル7F「竹内栖鳳展」広報事務局「講演会」係 申込締切8月9日(金) ※当日消印有効 受付を終了しました 平野重光(美術史家)「竹内栖鳳の芸術について -女性像にちなんで-」 日程: 2013年9月28日(土)時間: 14:00-15:30場所: 東京国立近代美術館講堂(地下1階) *開場は開演30分前*参加無料(先着140名)*申込不要 開催概要 東京国立近代美術館 企画展ギャラリー 2013年9月3日(火)~10月14日(月) 10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00) 入館はそれぞれ閉館の30分前まで 月曜日(9/16、9/23、10/14は開館)、9/17、9/24 一般=1,300円(1,100円/900円)大学生=900円(800円/600円)高校生=400円(300円/200円) ( )内は前売/20名以上の団体料金。いずれも消費税込。 中学生以下、障害者手帳をお持ちの方と付添者1名は無料本展の観覧料金で入館当日に限り、同時開催の「MOMATコレクション」もご覧いただけます。前売券は6月24日(月)から9月2日(月)まで販売。展覧会会期中は当日料金で販売。 早割りペアチケット(2枚)は、4月22日(月)から6月21日(金)まで1800円で販売。 前売券[9月2日(月)まで]および当日券は、東京国立近代美術館券売所、チケットぴあ[Pコード=765-631(前売/当日)、765-632(早割りペア)]、ローソンチケット[Lコード=36838(共通)]、セブン-イレブン[セブンコード=022-387(共通)]ほか、各種プレイガイドにてお求めいただけます。 東京国立近代美術館、日本経済新聞社、NHK、NHKプロモーション 旭硝子、大伸社 京都市美術館:2013年10月22日(火)―12月1日(日) 展覧会特設HPも、ぜひご覧ください。リンクはこちらから→竹内栖鳳展特設HP公開は終了しました

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